東京・西荻窪の治療院、てるこの部屋です。
降参する…なんとなくネガティブな響きです。
まぁ昨今流行り?のサレンダーですが、
私にとってはこれなくしては
安心安全の境地には入れませんでした。
以前、ラティハンという特殊な瞑想を
やっていたのですが、半年位経った時
その先輩に「福井さんはいちばん変わった」
と、言われたことがあります。
あるあるなんですが、当の本人である私は
自覚もなく?という感じで聞いていました。
その先輩はこう続けました。
「私たちの課題・試練は一人一人違うのよ。
でもその人に合ったものが与えられている。
だから他人と比べることは意味がないの。
そして、私たちが完全に降参するまで
神様は試練に見えるものを与え続けて下さる」
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ある日のラティハン瞑想中、
急に怒りとも悔しさともつかない感情が溢れ、
おんおん泣いたことがあります。
その瞑想歴50年余りの高齢の女性の先輩が
驚くほどの力で抱き締め続けて下さいました。
宇宙?神?のあまりにも残酷な仕打ち。
どれだけ抵抗してももぎ取っていく…
コントロールなんか到底出来ない…
もう、もう、完全に負けなんだ…
降参するしかないんだ…
私は大声で泣き叫ぶことしか出来ませんでした。
降参とはある意味「自我の死」です。
この物質的な世界を真実だと強く信じ込んだ
自我・エゴの思考や願望や未来を
打ち砕かれることは死と等しい恐怖です。
私はあらゆる手段を使って「死」に
抗い続けましたが、
宇宙はそれ以上の力で私を打ち砕きました。
私が「力」を使えば、宇宙も「力」を使う。
(私が微笑めば宇宙も微笑むでしょうね!)
私はこの宇宙の一部分ですから、
部分は全体に敵わないのは当たり前なんです。
で、降参したその先の世界は地獄だったか
というと、そっちがまさに天国でした。
(え~っ、神様は私を天国に呼ぶために
試練を与え続けて下さったの?)という感じ。
この世界は本当に逆説的です。
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今、私のような激しい戦いを通してではなく
「あれ?そっちのほうがいいみたい!」と
スルッと全体性に移行する人が増えています。
執着が少ない、思考が少ないタイプです。
私はこの三次元的「良い人生」という幻想に
しがみつき、抵抗・降参という道のりを通して
宇宙の愛を体験することが出来ましたが、
人の数だけ愛の体験の仕方があるのでしょう。
皆様には、私のような苦しい道のりではなく
優しい軽やかな愛の道を歩いて頂きたいものです。
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