懐かしい故郷に帰るには・・・

あなたの気づきのお手伝い!
心とからだの鍼灸師福井てるこです。

かつての私の悩みの一つが職場に嫌いな人がいるでした。まぁ、昔は人の好き嫌いが激しくて激しくて・・・その場は我慢しても、家に帰って一人になると枕を蹴っ飛ばし、ギャーギャー泣き叫んだこともあります。今だから笑えますが、当時は本当に悩んでいたんです。(あんな調子よくて、軽くて、サボり上手で、私のことを見下している感じなのは許せない!)ってな感じでね。さらに私を悩ませたのが、私が滅茶苦茶嫌いな人を私の同僚はまったく気にならないという感じだったことです。この激しい好き嫌いのせいでずいぶん損をしていたと思います・・・

今ならはっきりわかります、それが投影だということを。ユングはこれをシャドーと言っていました。自分の中にあるけれど見たくない許していない部分を外側に見ていただけなのです。私は優しくて賢くて役に立つ人間であろうと努力し続けていました(とても真面目だったのです~)。なので、調子がいいとか、軽いとか、真面目じゃない自分がいるなんてことを認めることが出来なかったのです。また他人と自分を常に比較し続けて優越感に浸ったり、見下してもいたのです。

道

今では苦手な人も嫌いな人も格段に減りました。思考もけっこう軽~く受け流す自分に気づくようになりました。変われば変わるものです。私はこう思っています。良くスピでワンネスと言いますが、文字通りすべてなんです。すべてが必要で、必要じゃないものは何一つもないと思います。それが取るに足らないものだとしても、その取るに足りない感じが必要なのです(取るに足りないはただの現れですがね。それを取るに足りないとラベリングしている人がいるだけで。)。誤解を恐れずに言えば、犯罪者もワンネスの1ピースです。キリストや仏陀が1ピースのように。

私たち自身がすべてでもあるとわかった時、初めて本当のやすらぎが訪れるような気がします。外の世界はもちろん、自分の中の世界もそうなんです。賢くて人の役に立つ私になろうとばかり努力してきましたが、その素晴らしさと同じだけ醜く腹黒く愚かな私もいたのです。一方の極に向かおうとするとその真逆の極も同じだけ立ち上がってしまうのです。陰と陽、東洋哲学ではそう言います。

頭で無理やり信じ込もうとしても難しいですが、いつかきっとわかってきます(もちろん、私もその途中ですよ)。私たちはみんな、あの懐かしい故郷を目指して歩いているのですから。胎児の頃のような、内も外もないすべて。そこには安心がありました。私たちはそこから来て、またそこに帰っていくのでしょう。

私たちは個人でもあり、大きな(物理的な意味だけではなく)一つでもあるときっとどこかで知っているのです。あの懐かしい、すべてを受け入れ受け入れられている場所に帰りたいのです。そのためにはすべてが必要なのです。あなたを苦しめてきた、あなたが顔も見たくないあの人もこの人も。全体性という故郷に帰り着くための大切な道なのです。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。