大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも憎むこともなければ
すべてははっきりと明らかになる
だがわずかでも分別をすれば
天と地は遥かに隔たる
真理を実現したければ
賛成や反対の見解を抱いてはならない
一つを嫌い一つを好むことは
心の病だ
物事の本質を理解しないとき
心の平和は徒に乱される
![道](https://fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2018/11/04ed179b58a9fd787cda1f18974f365b_s.jpg)
道は大いなる虚空のように完全で
欠けたところも、余分なところもない
ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ
外界に巻きこまれてはならない
空という概念にもとらわれてはならない
一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る
心の活動を止めようと努力しても
その努力がさらなる活動をもたらす
対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるものを知ることはできない
一なるものを知らなければ
静動、正否ともにその自由な働きを失う
物事の現実性を否定すればその現実性を見失い
空の概念にしがみつけば空の原理を失う
話せば話すほど、考えれば考えるほど
ますます真理から遠ざかるばかり
話すことも考えることもやめなさい
そうすれば知り得ないものは何もない
根源に帰れば本質を会得する
だが現れを追いかければ源を見失ってしまう
一瞬にして悟れば
現れも空も、ともに超越される
![](https://www.fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2018/06/d9f8af1d2e1d855870a6ce1967547843_s-400x267.jpg)
空の世界に起こる変転変化を
無知ゆえに人は実在と呼ぶ
真理を追い求めてはならない
ただ相対的な見方をやめなさい
二元的な分別にとらわれて
現れを追ってはならない
わずかでも是非を区別すれば
心の本質は失われてしまう
すべての二元対立は一元から生じるが
その一元にさえ執着してはならない
心が生じなければ
世界が背くことはない
何も背くことがなければ
すべてはあるがままだ
分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
主体である心が消えれば、対象も消え去るように
想いの対象が消えれば、想う主体も消え去る
物事(対象)は主体(心)が存在するために対象となる
心(主体)は物事(対象)が在るためにそのように在る
その二つの相関関係を理解しなさい
その根底にある実在は一つの空なのだ
この空は相対を排斥せず
すべての存在を差別のまま包みこむ
粗雑と精妙を区別せずにいなさい
そうすれば偏見に陥ることはない
大いなる道に生きることは
易しくも難しくもない
だが視野の狭い人は恐れ疑い
急げば急ぐほど遅れてしまう
![](https://fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2022/08/24531433_s.jpg)
真理に執着すれば度を失い
悟りという概念にさえ囚われて道に迷う
すべてを放てば自然となり
来ることも去ることもなくなる
あるがままにまかせなさい
そうすれば悠々自適に生きていける
想いを働かせば、真理は隠され
想いを止めれば、暗く澱んでしまう
有念も無念も徒に精神を疲れさせるばかり
そのどちらを好んでも避けてもならない
一なるものを求めるなら
感覚や思考さえ嫌ってはならない
感覚や思考を完全に受け入れることは
真の悟りと同じことなのだ
賢者は目的を求めて努力しない
愚者は目的を求めるために己を縛る
法(存在、現象)は一つであって多数ではない
区別は無知の愛着から生じる
心をもって真理を求めることは
最大の過ちだ
迷えば安心や不安が生じ
悟れば好きも嫌いもなくなる
すべての二元対立は
自己中心の分別から生じる
それらは夢まぼろし、空中の花
つかもうとするだけ愚かなこと
得も失も、是も非も
すべて一度に放り出してしまえ
![](https://www.fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2018/04/94671d93a9516c8870410f305d92f99c_s-400x267.jpg)
もし心眼が眠らなければ
すべての夢は自然に止む
心が分別をしなければ
存在は一なるものとしてあるがままに在る
この深遠な神秘を理解すれば
すべてのもつれは解きほどかれる
千差万別の存在が平等に見られれば
あるがままの自然の姿に帰りつく
この原因も関係性もない状態では
比較も類比もできない
動を静と見なし、静の中に動を見なさい
すると静も動も消え去る
二元性が存在しなければ
一なるものも在りえない
この究極の境地には
どんな法も描写もあてはまらない
![](https://fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2022/08/22355038_s.jpg)
道と一つになった平等な心に
自己中心的な計らいはない
疑いも恐れも消え
真理を信頼して生きるのだ
束縛を一撃で断ち切り自由になれば
印象はとどまらず、記憶すべきこともない
すべては空、明らかにして自ずと輝き
心を用いることもない
想念、感情、知識で推し量れない
このあるがままの世界には
自己もなければ他己もない
この実在と調和の内に在るには
ただ「不二」と言うがいい
この「不二」の中ですべては等しく
すべては包みこまれる
世界中の賢者たちは
この根源的真理を体得している
真理は時を超え
絶対の今の一念は、そのままで永遠なのだ
ここも空、そこも空
だが無限の宇宙は常にあなたの目の前に在る
![](https://fukui-hypno.com/1fr-l16oe3wx/wp-content/uploads/2021/10/jeremy-thomas-pq2DJBntZW0-unsplash.jpg)
極大と極小は異ならない
境界を忘れ去り、区別を消し去れば
存在も非存在も同じこと
そうでなければ真理とはいえず
守るべき価値もない
すべては一つ
一つはすべてだ
このように悟るなら
不完全を思い煩うこともない
この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから
道は言語に絶している
そこには昨日も明日も今日もないのだ
「覚醒の炎 プンジャジの教え」より
「信心銘」とは中国の禅宗の僧サン鑑智禅師の撰と言われている