瞑想の究極の目的は何か 「瞑想のススメ」より

「瞑想とは、簡単にいうと、心を鎮めて自分の内側のほうに注意を向ける作業です。

私たちの心は絶えずいろいろなことを考えて、いろいろなことを感じて動きまわっています。
それは数分の間、目を閉じて心の中を観察するだけでも、すぐわかります。

そのように私たちは絶えず心を使っていろいろなことを考え、感じているのです。
このような心の活動が鎮まり、思考がストップしたとき、非常に鮮明な、一切の疑問が
氷塊した明らかな意識が出てきます。

この状態になったとき、「ほんとうの私」は未だかつて生まれたこともなければ死んだことも
ない意識=光であることが、説明のしようのないほど明確に体験されます。それは生まれる前
からの意識、もっとハッキリいえば、時間がない意識です。永遠の今、現在だけしかない。
過去・現在・未来というのは、その意識にとっては幻想です。そこでは日常の自分を、まるで
下界にたなびく雲の一片をはるかに高い山頂から見下ろしてでもいるかのように感じるかもし
れません。

または日常の自分を、世界というドラマの中で芝居を演じている役者のように感じるかもしれ
ません。人生の苦しみ、悲しみ、喜びが、重々しさと現実感を失って、まるで映画の中の出来
事でもあるかのように、軽やかに眺めている自己の存在を発見するのです。
そして、他人と自分という区別もなく、すべてを平等に眺められます。苦しみも悲しみも
喜びも、他愛のないゲームなのです。苦しみたいから苦しんでいる、悲しむのが好きだから
悲しんでいる、要はみな好きな役どころを演じているのだということが歴然と見えてきます。
瞑想の究極の目的は、この状態を実現することにあると私は理解しています。これは言葉を
超えたものであり、体験するしかありません。本で教えられるのは体験の方法だけです。
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もちろん瞑想をしなくても、それを体験する人は、たくさんいます。冒険家の中にも体験す
る人がいるでしょうし、ビジネスをやっていて体験する人だっているかもしれません。何を
やっていても、自分のルーツを求める真剣な気持ちがあれば、どこかで体験するのは明らか
です。
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瞑想が、直接日常生活にどんな関わり合いを持ち、どのような効果を与えることができるの
かという点は、もっとも興味のあることでしょう。
たとえば、どういう使い方があるかというと、一つには自分やまわりの人のヒーリングです。
簡単な病気ならば悪い所がわかるし、治すこともできます。
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瞑想中、意識の奥に潜っていくと、表層意識では全く忘れてしまっていたはずの子供時代の
劣等感とか、抑圧された感情に直面することがあります。その直面した部分に自らの意識の
光を当てることによって、精神分析や様々なセラピーを数年も続けてやっと解決するプロセ
スが、数回の瞑想で解決されることは珍しいことではありません。
つまり逆にいえば、瞑想の過程とは、無意識の中に眠っている抑圧された感情に意識の光を
当てて、はっきりと自覚していくプロセスでもあるわけです。
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なぜなら、こうした内面感覚が研ぎすまされてくると、自分の感情の動きが、相手の雰囲気に
いかに大きく影響されているものであるかについて、明確に自覚することができるようになる
からです。」

これは、山田孝男さんの「瞑想のススメ」の最初に書いてあったものですが、
これを読むとアニータ・ムアジャーニさんの臨死体験中の描写と同じだなと思います。
外側にばかり向いている自分の視点を反転させて、静かに内側に向ける・・・
抑圧されてきた感情に意識の光を当てる・・・
瞑想は、「催眠」はに近い感じがしませんか。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。