すべては贈り物(夏至の日の気づき)

杉並区西荻窪の治療院、てるこの部屋です。

 

 

夏至の今朝、ふとこんな言葉が浮かんできました。

「すべては贈り物だった。これからはすべて受け取ろう。」

私は幼い頃から自分ほど不幸な人間はいないと思っていました。アルコール依存症で働かない父、統合失調症で寝たきりの母、おまけに叔父まで統合失調症。働き手がいないので、本当に貧しい生活でした。信じられないと思うかもしれませんが歯ブラシまで拾ってきていました。もちろん学校でもいじめられ(セルフイメージが低いので当然ですね)、登校拒否。こんな子ども時代を送ってきた私が自分や人生を信頼なんて出来るわけがなかったのです。世界は危険な場所で人生は戦いでした。いつも自分と誰かを比べて一喜一憂していました。幸せになれるはずなんてないと思っていたのです(そう確信しているんだから、そうなりますよね(笑)。

 

 

そんな私でもなぜか結婚することが出来ました。夫はいつも私にこう言っていました。「てるちゃんにはもっと自分を大切にしてほしいなぁ」とてつもなく優しい人だったのです。しかし、結婚した直後のことです。夫の寝顔を見ていると急に死に顔に変わっていきました。あれっ?何だろう?嫌だ!嫌だ!その時直観が来ました。(この人と死別した時に私の本当の人生が始まる)この人は私の肥やしになってくれる人、通過点だという直観でした。

それから14年、その直観は思い過ごしだったと思えるほど私たち夫婦が上手くいっていたある日、不思議な体験をしました。当時荻窪に治療院を構えていた私は昼間往診に出かけたのです。住宅街を歩いているとふわふわとした何とも言えない気持ちになってきました。昼間なのに誰も歩いていません。(これが至福って感じかな?いや、至福以上だな)何とも名前が付けられないほどの気持ち良さに浸りながら歩き続けました。すると突然、私の身体が足元から消え始めたのです。

?????何これ?ダメ!ダメだダメだ!身体が無くなったら「私」が無くなっちゃうじゃんか!

ここで消えるわけにはいきません。私は息を止めました。すると消えていた腿から下が復活しました。ふぅーっ。その時また直観が来ました。(人間って完全に幸せになってしまうと消えちゃうんだな。だから肉体をこの地上に縛り付けておくには重石(おもし)が必要なんだ。問題を抱えているから肉体を構築していられるんだな。じゃ私も問題をちよっぴり持っていよう)その次の日のことです。登山で転んだ夫の頭部が心配になり、近所の整形外科に行かせました。そこでMRIを撮り、脳腫瘍が発見されたのです。ちょっぴりどころか、とんでもない重石でした。

私は自分が粉々に壊れるのではないかと思うほどの苦しみを味わいました。手術をしたら認知が下がり、夫は仕事が出来なくなりました。やっと優しい人と出会い幸せを掴んだと思ったのに奪われてしまったのです。神はいないと思いました。私は他の人をうらやみ、自分の運命を呪い尽くしました。しかし、どれだけ神を罵倒し運命を罵っても何一つ変わりませんでした。当たり前です。私が変わるしかなかったのです

 

 

3か月もの長い間入院していた夫は病院のディルームで暴れたこともありました。泣き叫び、担当医から精神科へ行きなさいと言われました。夫は絶望しました。しかし、絶望は必要なものでした。ある日のこと、真っ暗な中で夫は泣いていました。それまで私は夫が泣くのを見たことはありませんでした。声を押し殺して泣き続けていました。私も近づけないほどの深い悲しみでした。すると突然、夫がこう言いだしたのです。「ありがとうございます。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとうございます・・」気でも違ったかと驚いた私が「どうしたの?」と尋ねると夫はこう言いました。

「君にはこの光が見えないのかい?白い光がまっすぐに僕の胸に入って来てるんだ。その光が生き続けなさいって言ってるんだよ。」

何度も何度もこの話を書いているので、皆様はもう飽き飽きされていることでしょう。でも、私は思い出す度に発見があるのです。夫はあの時、完全に自分を明け渡したのです。もう自分で人生をコントロールできないと完全に観念したのです。サレンダーです。この悲惨な絶望的なことがどれほど幸福なことか、私はわかるようになりました。自我が主導権を握っている限り、私たちは本当には幸福にはなれないのです。この肉体が自分だという小さな視点では一喜一憂の繰り返しの人生です。あの瞬間、夫は自分を無くし大いなるものにすべてを明け渡したのです。これを祝福と言わずに何と言えばいいのでしょうか?

 

 

自我の視点から、大きな(真我?大いなるもの?全体?本質?)視点へと夫は切り替わりました。それからの夫は完全に安定していました。仕事や肩書、お金などほとんどすべてのものを失いましたが、変わりに永遠を手に入れました。生きているうちにそれを掴んだ夫はなんという幸せ者でしょうか。傍にいながら、それがわからなかった私は本当にバカ者です。しかし、夫が亡くなった今、昔のことを反芻するように思い出してはすべてが完璧だったと驚嘆しています。だから、このタイミングでしか理解出来なくてもそれで完璧なのです。何も悲惨ではなく何も間違いではなかったのです。それは小さな自我の視点、社会の条件付けから見たものの見方で認識していただけです。この凝り固まった視点が溶け、大きく広がらなければ一喜一憂の直線上を歩くだけの人生です。すべては贈り物でした。その贈り物は特別な時にやってくるのではなく、今も、そして今日も様々な形で送り届けられているのです。私たちは抵抗をやめて、それを受け取るだけなのでしょうね、きっと。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。