呪いが解けた日

昨日の3月11日(日)の午前3時過ぎに
なぜだか突然カッと目覚めました。
今まで掛かっていたいた呪いが解けた実感が
ガァーーーーっと湧いてきました。

 

なぜ呪いが解けたのか?
そもそも「呪い」という言葉が浮かんできたのも
不思議ですし、呪いに掛かっていた実感も
それまではもちろんありませんでした。

 

私に掛かっていた呪いは
「私はみじめだ」でした。
突然浮かんできたこの言葉の意味を
真夜中に調べました。

・とてもまともに見ていられないさま
・恵まれない、ひどいさま
・かわいそうで見るにしのびないさま
・痛々しい
・ああはなりたくないと思うほどのひどい状態
(みじめって、他人目線の感じなのですね!)

「気づき」が寝ている私をゆり起こし、
高速で私の頬を連打している感じでした。
ちなみに邦訳では「ああ無情」で知られる
「レ・ミゼラブル」のミゼラブルは惨めという意味です。
直訳は「惨めな人々」という感じでしょうか。

 

私はすぐさま「惨め」の対義語を探しました。
封印が解け、みじめでいる必要がなくなったので
その対義語を「ことだま」として自分で
入れようと思ったのです。

 

しかし、なんと「みじめ」の対義語がない!
ないようなのです。
近い言葉は「誇らしい」「幸せ」くらいです。
ひょっとしたら対義語がないこの「みじめ」という
言葉を選んだのも絶対解けないようにしたのかも
しれません。

 

対義語っぽくはないのですが、現時点で
自分のボディが反応するのを入れました。
これで今日からシフトが加速度的に起こるでしょう。

 

しかし・・・
ひどい呪(しゅ)を掛けたものです。
たぶん、これは自分で掛けたのでしょうが
ひどすぎます。誰から見ても
「ああはなりたくないよね~」という
状態に縛り付けるというものだったのですから。
(私は前世で行者だったそうです。パワーを駆使し
呪詛を使っていたのでお手の物かもしれませんね。
今世ではパワーを逆の方向、みんなが幸せになる
ことに使おうと思って生まれたのかもしれません)

 

まったくそれにふさわしい人生を歩んできました。
アルコール依存症の父、統合失調症の母と叔父
毎日喧嘩が絶えず、お茶碗が飛び、テレビも
投げ捨てる父を抑えるために警察がやってきたり。
私は洋服も買ってもらえず、毎日同じ服。
襟首が汚れた服をバカにされ、
同級生の前でどれだけ恥をかいたか。

 

自分にはまったく価値なんてない。
生きていたくない。
この世は地獄だ!
みんな死んでしまえ!
こんなことを幼い頃から思ってきた
私が幸せになれるわけがありませんよね。

 

そして、優しい男性にめぐり会えた!やっと
私にも幸せが訪れたんだと思ったのもつかの間、
夫は悪性脳腫瘍になり、手術で知能が下がり
働けなくなり、またすべてを恨む人生に逆戻り。

 

梯谷幸司先生の開発された「病人でいることを
やめる・やめさせる心理技術」では、
すべて自分がさせている、と捉えます。
「車に轢かれた」ではなく「轢かせた」なんです。
だから私の場合も、自分で自分が「みじめ」な
状態に居続けるよう「努力」し続けていたのです。

 

梯谷先生の講座で学び、その後アシスタントまで
したのですが、自分の「前提」だけは
なぜか見つけられなかったのです。
はっきりと捕まえられなかった「それ」を今回
見つけたのは、昨年悟った医師石川先生のおかげです。

 

昨日、月に一回の「癒し人講座」があり
最後の最後に私が質問させて頂いたのです。
「夫の悪性脳腫瘍の主治医が上から目線過ぎて
バカにされたり、怒鳴られたり辛いです。
医者や病院を捨てるにはどうしたら
いいですか?」というような質問というより
お悩み相談のような感じでした。

 

すると石川先生は
「そんなみじめな思いをしているなら・・・」
と回答下さったのですが、私はハッとしました。

 

私はみじめだったんだ!!!

 

医者や病院がどんなにひどくても、
バカにされてもコケにされても我慢しなくては
いけないと信じ込んでいました。
私は自分がみじめな思いをしていたことにも
気づいていませんでした。

 

私がずっと味わっていたのは「みじめさ」でした。
そして、それは私が作り出していたものでした。
顕在意識でどれだけ努力しようが、
潜在意識の奥の奥、メタ無意識の領域に
「みじめだ」があれば、人生にそれを証明してしまうのです。

 

この世界は、絶対的な真実があるのではなく
自分が真実と思ったものが真実となるのです。
だから私の世界では「私はみじめ」な体験ばかりが
続いていたのです。

 

石川先生の「みじめな思いをしているなら・・」
の言葉が、私の意識を変える最初の粒子の一粒を
揺らしたのです。
それが真夜中過ぎに突然の覚醒になったのです。
たぶんですが・・・石川先生が悟られているから
でしょう。その透明さが、私の内面の強烈な鏡と
なったのでしょう。
覚者に会えば悟る可能性が格段に増えるというのは
そういうことなのだと納得しました。

 

最近始めた「ことだま全身調整」が
爆発的な勢いで形になりつつあります。
私自身のエナジーの体感感度も強烈です。
そして、言葉が「呪い」となりその人の人生を
縛りもするし、「ことだま」として自分を
解放し、なりたい自分にもなれるという体験を
怒涛のごとくさせて頂いていることに
意味がないわけはありません。

 

2008年か2009年頃、富士吉田市の
新屋山神社に初めて行ってご祈祷を受けた時
空気の塊のようなものが私を直撃し、正座の
私がグラっと後ろに倒れました。
すると神官が私だけにメッセージを下さいました。
「神様からこのように来ましたよ。
誰もやっていない、あなたしか出来ないことを
あなたはこれからやっていくのです。」
5回も繰り返し言われました。
「それは、言葉で人を治していくのです。」
今すべて繋がりました。
言葉の呪いを解き、寿ぎに満ちたことだまを
差し上げる、これが私の道であることを確信した次第です。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。