喪の仕事(失ったものと得たもの)

こんにちは、福井てるこです。
(皆様、お気づきでしょうか?私は個人的なことを書く時は福井てるこですとご挨拶し、お仕事のことはてるこの部屋ですとご挨拶しています。なので、今日は個人的なことなのです。ひょっとしたら今日のブログはご自分の奥深くの悲しみに触れてしまう方もいらっしゃるかもしれません。まだそういう状態の方はお読みにならないほうが良いかもしれません。あるいはその悲しみの感情の解放に役立つかもしれませんが。)

 

 

喪の仕事・・・聞いたことのあるような、でもよくわかっていない言葉でした。これは、愛する人を亡くしたときなどの悲しみを乗り越える過程、心のプロセスのことだそうです。モーニングワーク(Mourning Work)悲嘆の作業とも言われます。そして、この喪失から立ち直る過程は、死に限らず恋愛や人間関係、家や仕事などにもあてはまるそうです。これは省略することは出来ないプロセスだと言われています。

 

これをフロイトの理論を発展させた精神分析学者ボウルビィが4つの段階にして説明しています。

1 無感覚・情緒の危機の段階
喪失を知り、激しいショック状態で感覚が麻痺する。事実を受け止められず、呆然としたり、無感覚になったりする。混乱してパニックになったりもする。

2 否認・抗議の段階
失った事実を認めようとせず(認められず)、深い悲嘆と強い愛着に苦しむ。「その人はもういないよ」と喪失を認めさせようとするものに対して、強い敵意と怒りを持ったりする。自分をなぜ置いていったのかという怒りと虚しさ、寂しさ。後悔や罪悪感や自責の念にとらわれる。その他には、まだ存在していると思って、そのように振舞ったり、空想の中で関係を持つ。

3 断念・絶望の段階
事実を受け入れ、もう失ったことが決定的だと断念する。何をしても帰ってこないと絶望し、無気力になる。失意や抑うつに支配される。孤独を感じるが、人との交流は避け、引きこもったりする。宗教などに助けを求める人もいる。

4 離脱・再建の段階
だんだん現実を受け入れ、穏やかになっていく。希望を見つけ出そうと歩き始める。

 

この喪の仕事は、各段階を行きつ戻りつしながら、揺れながら揺れながら進んでいくそうです。大切なのは、無理に乗り越えようと頑張ることではなく「悲しみ尽くす」ことだと言われています。そのためには、安心して悲しめる環境が必要ですね。私も昨年の8月に突然夫を亡くしましたが、この喪の仕事を着々と歩んできたようです。亡くなった直後は「あれ?私大丈夫かもしれないな」と思うほど何も感じませんでした。しかし、ほどなくして強い後悔や自責が湧いて苦しみました。思えば、十分に悲しめる状況を作らなかったようです。そして、夫が亡くなってちょうど1か月の月命日にチャネリングメッセージを受け取りました。ここで完全に断念・絶望しました。しかし、のちにこれは夫の愛情あふれる策略だったとわかります。私が自立するためには完全に望みを絶ち切り、絶望の状態に入る必要があったのです。夫はチャネラーさんに何度も「これはプレイだから。演技だから。でも僕が言うことはそのまんま一言一句同じ言葉で伝えてください」としつこく言ってきたそうです。まったくアッパレな夫です。そして現在は離脱・再建の段階に足を踏み入れたようです。春のポカポカした日差しに包まれたような穏やかさを感じています。もちろん、時折思い出して涙ぐむ時もありますが、行ったり来たりしながら、日々を過ごしています。

  

 

先日、ふと夫の溺死した姿を思い出しました。あの日の前日、夫は「君のお父さんから夫婦の関係はもう終わっていいと許可が出たよ」というメールをくれました。その次の日の早朝、いつもよりなぜか早く目覚めた私は布団の中で夫を呼んだのです。「小太郎~」しかし、返事はありません。狭いアパートなのに、何かおかしい、嫌な予感。こんな朝早く出かけるはずがない、靴も玄関にあるし・・・呼んでも返事がありません!ああ、ああ、風呂場に電気がついている・・・どうしたのだろう・・・呼んでも返事がありません!そんなことはそんなことは起こらないで!・・・しかし、風呂の扉を開けると夫は完全にお湯の中に沈んでいました・・・(どうしたの?バカ!何やってんだよ!)「小太郎ー」私は夫を抱き上げました。・・・夫はもう死んでいるの?眠っているように見えるけど・・・揺すっても揺すっても起きない・・・死んでいるの?・・・死んでいるの?・・・「小太郎ー、起きて、起きて、起きて、起きて、起きて、起きて、お願いだから起きて、お願いだから・・・」私は風呂の栓を抜きました。しかし、お湯が抜けていくのがこんなにも時間がかかるとは!早く救急車を呼ばなくちゃ、携帯を取りにいかなくちゃ・・・でも、今ここから離れたら夫はまたお湯に浸かってしまう・・・早くお湯が抜けないと早くお湯が抜けないと・・・私は重い夫を抱き抱えたまま、じっとお湯が抜けるのを待つしかありませんでした。この時の心細さ、みじめさ、無力感・・・爆発しそうでした。しかし、一方で頭の中では段取りを考えている自分もいました。(これから、どうなるんだ。いや、どうするんだっけ?誰に連絡するんだっけ。そして、これから、一気にしなくてはならないことがあるんだ・・・)お湯が抜けても夫は眠ったようにぐったりしたままです。119番に電話した私はなぜか大声になっていました。電話の向こうの人は「浴槽から出せますか?出してください」と言います。何度チャレンジしても私の力では夫を出すことが出来ません。私は「出来ない、出来ないよー、出来ません、私には出せません」と私は子どものように泣きじゃくりました。すると消防署の人は誰か近所の人を呼んでくださいと言いました。「誰も知らない、知りません。知らないよ~」と泣き続ける私。まだ朝の6時半なのです。しかし、こうなったら仕方ない。大家さんのピンポンを鳴らしました。「夫が風呂で・・助けてください!」大家さんご夫婦がおっかなびっくりやってきましたが、夫に触ることも出来ませんでした。そのうちに救急隊の方がやってきました。「小太郎ー、小太郎ー」と狂ったように叫び、夫から離れない私に救急隊の人が言いました。「奥さん、私たちが絶対助けるから!」と。なんと力強い言葉でしょう。その言葉は本当に夫を生き返らせてくれるように思えたほどでした・・・

 

 

・・・こうやって辛かった思い出を表現することが喪の作業には役立つようです。もちろん、発表しなくてもいいのです。ただ思いを書くだけでも十分だそうです。書きながら思いっきり泣きながら、私は今もなお喪の仕事を着々と続けています。もしあなたが喪失を体験した人だったら、どうか安全な場で十分に悲しみ尽くしてください。そして、あなたの周りに喪失を経験した人がいたら、どうか上記のことに留意して、十分に悲しませてあげてください。私の周りにも「ごめん、なんと言ったらいいかわからない」と私から距離を置いた友人がいました。その人はただこういう知識がなかっただけなのです。私の悲しみ・苦しみを目にして、自分の中の悲しみ・苦しみに触れてしまっただけなのだと思います。

私たちが死ぬことは不可避ですから、この悲嘆は誰もがいづれは通る道です。こればかりは自分で越えていくしかないのです。この喪失を人生の半ばで体験したことは今ではギフトだと思っています。私はこの人生の秘密を実感することができたのですから。それは・・・無常という真理です。常なるものはない、すべては変化していくということです。どんなに愛する人に執着してもいつかは必ず別れなければならないのです。だとしたら・・・今この瞬間の何気ない普通のひと時(目の前の人、もの、景色、そして自分という存在そのもの)が最高の宝物だと思いませんか?大切な人がまだ健在なあなたは宇宙一の幸せ者です。そして、私は大切な人を失ってしまってしまいました。もうどう叫んでも何をしても夫は帰ってきません。しかし、そのことによって無常という宇宙の真理に触れ、究極の安心を得たのです。こんな私もきっとまた幸せ者なのです。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。