ここのところ以前からの患者さんが
来なくなっています。
(ええ、それは大変なことですよ!)
でも仕方ないことなのかもしれません。
なぜって?
私の在り方が変わったからです。
私には、鍼灸マッサージ師として
治療とはこういうものだという
固い固い観念がありました。
「患者様は
ストレスいっぱいで
お疲れなのだから
患者様の愚痴や不満は
聞いてさしあげねばならない。」
「患者様には
いろいろな都合があるのだから
突然キャンセルをしても
気になさらないように
対応して差し上げねばならない。」
などなどなどなど・・・
しかし、それが変わってきたのです。
何度も何度もドタキャンを繰り返す方に
いつもの甘い顔をしなかったのです。
そうしたら・・・
いらっしゃらなくなりました。
いいのです。
それでいいのです。
私が我慢しているのは良くない。
私はいい人と思われたいから
治療をやっているのではないのです。
鍼灸師として、鍼灸以外の
責任も負い過ぎていました。
キャンセル後の患者様の感情まで
買わなくてよいのです。
話は変わりますが・・・
以前、高円寺のスナックで
元機動隊にいたという方の占い?を
受けたことがあります。
安くて当たると評判の方でした。
6年くらい前かな。
富士吉田の新屋山神社で
突然降りてきたメッセージ。
神官様から私に伝えられたその
メッセージの意味を探すために
そのスナックの鑑定?に行ったのでした。
そのスナックの鑑定士さんは
神様のメッセージと同じことを言いました。
「もう勉強しなくていい。」
「来た方に合わせて、臨機応変に
組み合わせてやればいい。」
「あなたは、言葉で治すんだよ。」
そしてこう言ったのです。
「喜怒哀楽を出しなさい!」
「それがあなたの治療院が繁盛する秘訣です」
は?
意味がわかりませんでした。
(私は充分に喜怒哀楽を出して
生きているんだけどなぁ。)
今から思えば本当に私は
自分というものを知りませんでした。
感情なんか出していなかったのですね。
出しているつもりでいたのです。
「喜怒哀楽」これを本当に実践するのに
何年もかかりました。
それほど、私は鈍感だったのです。
若い頃、新劇の劇団に所属し、
舞台ではシェイクスピアなんかを
思いっきりやっていた私ですが・・・
感情的な「振り」はめちゃくちゃ上手ですが、
自分の生の感情からは程遠かったのです。
そのことに気付かないで生きてきました。
やっと気付いたのは、
夫が癌になってから。
毎日我慢することなく泣きました。
何生分もの涙を流し
私を置いて先に逝こうとする夫を罵倒し
これからの自分の生活の不安に怯え
誰でもいいから、私の話を聞いてくれる人を
見つけ、すがりついていた日々。
たくさんの人が(患者さんも)
私たち夫婦から離れ、
世界から切り離されたような
まるで起きていることが夢のような
幽霊にでもなったような感じでした。
自分の身に起きていることが
本当に信じられませんでした。
夫に先立たれてしまう、という恐怖は
私の幼い頃の痛みを浮上させました。
私が生まれて間もない時、
父は蒸発してしまったのです。
私と母を置いて。
私の大切な人は、私の目の前から
いなくなってしまう。
大切な人はいなくなってしまう。
人生を呪い、世界を呪い、神を呪いました。
私が「喜怒哀楽」を出せるように
なったのは、夫の癌がきっかけです。
しっかり者だけど、どこか冷静過ぎる私が
泣き笑い、わめき散らし生きるようになりました。
それから人間らしくなりました。
感情も感覚も
ただただ肉体を通過するエネルギーだと
言われています。
でも、それが自分の本当の望みを知る
ヒントになるのです。
魂につながる出入り口のような気が
しています。
感情を通して自分を知り、
本当にやりたかったことを
自分にさせてあげる・・・
とても大切なことだと思っています。
これからそんな仕事をしていきます。
私と私の感情の関係は今は良好です。
思いっきり味わうようにしています。
上手く通過させていますので
引きずらないんですよね。
自分自身ともしっかり繋がったし、
周りの方とも繋がっています。
これも喜怒哀楽を出したおかげかな。