今日は、「日曜の瞑想」でした。
今週もお一人だけでしたが、こうやって来て頂けることに感謝です。
まず、「慈悲の瞑想」から。
慈悲の素晴らしい波動で部屋を満たします。
そして、歩きの瞑想です。
五感から入ってくる情報に気付くだけでなく、
意識にあがってきたものにも、ラベリングします。
「病気はずっと治らないのではないか」とか
「治療なんてしても意味ないのではないか」とか
身体のセンセーションだけでなく、心の観察が出来たらかなり上達しています。
恐怖や不安のごくごく最初の小さな芽のうちにつんでいくのです。
ヴィパッサナー瞑想の極意は「すべてを等価に観る」です。
良い悪いではなく、他人事のように、同じ価値で見ていくのです。
人は誰でも、自分が可愛く自分がいちばんなのです(エゴってやつですね)。
だから、自分の病気は他人の病気より、たいへんなことなのです。
なんとしても、早く解決したい、あるいはそこから逃げ出したいのです。
すると、空想、妄想が始まり、悲観的になってしまいがちなんですね。
執着してしまいがちなそこを、冷静に等価に見ていくのですね。
やればやるほど上手になっていきます。
スポーツと同じで、練習あるのみです。
過去の出来事の後悔、未来への不安、恐怖、、、。
ほとんどの人は、今この瞬間に生きてはおらず、
大切な大切なエネルギーをダダ漏れさせています。
病気が治ったあかつきのことばかり考えていたら、疲れ果ててしまいます。
ましてや、「治らない病気」というものにフォーカスしていたら、
治らないことに、餌(エネルギー)をやっているようなもんです。
餌をやったら、肥え太っていきますよ。
フォーカスした部分が大きくなっていくものですから。
私たちには、今この瞬間しかないんですよ、知ってました?
知っていますよね?
今、何を感じていますか?
今ですよ、いま!
そして、目の前の人を本当に見たら、何を感じますか?
その人の瞳の中に何が映っているでしょうか?
今日は、しっかり見て下さい。
そこにすべてがあるかもしれません。
私は今朝、トイレに行く直前平安を感じました(なんでですかね~)。
ぎょっとしました。
あれれ、何もない。
苦しみも悲しみも不安もイライラも、そして喜びも、なかったです。
何もないってことにびっくりしました。