すべてが大事じゃないならば・・・

からだ潜在意識を整えて、楽で自然に生きる!てるこです。

 

熊野の友の目覚めのエクササイズを続けています。浮かんだ思考をただ捨て去るのです。これをある友人に話したら「サイボーグみたい!」と言っていました。そうなんです。出て来たら捨て出て来たら捨て、どれだけ早く捨てられるかなんです。つまらないって?そう、まったくつまらないんです。機械のようにやるだけなんです。ドラマもストーリーも語る隙を与えません。最初は激しい抵抗が起きますが、慣れると不思議に楽しくなってきます。

今朝、FBで尊敬していた方の新しいセミナーの告知を目にしました。以前なら、行こうか行くまいか迷ったのですが、全く触手が動きません。あれっ?こういうこと?今までの自分の中では絶対的に価値のあるものでした。それが、魅力を失っているのです。そういえば昨日、BOOKOFFにだいぶ本を売りました。店員さんにしてみたら、アシュターヴァクラ・ギーターもマハルシもヨガナンダもマカロニほうれん荘と変わらないんだもん、事実はそういうことです~(笑)

どんどん客観的になっています。客観的のレベルが段違い平行棒なんです。たぶん、これを他人に理解してもらうのは難しいでしょう。思考を次々捨て去っていたら、大事なものなんてなくね?って気分になってきたんです。健康が〇で病気が×ってただの思考じゃないか!月商1000万円が〇で月商10万円が×もただの思考じゃないか!持ち家が〇で賃貸アパートが×もただの思考じゃないか?すべてすべて思考だったとしたら・・・み~んなすべてどうでもよくね?

 

 

何かが大事だということは素晴らしいことですが、その裏に大事じゃないものを同時に創り出しているんです。あの人が特別に大事ならそれ以外の人は違うってことです。当たり前じゃないかって?そうなんです。エゴにとっては当たり前です。自分と自分以外、上と下、いいと悪い、正しいと間違い、成功と失敗、幸せと不幸せ、、、数限りない二極があるんです。それが分離の感覚です。どこまでいっても足りない感じがする不足感の原因です。思考でラベリングすると比較や差があるように見えてしまうんです。これが苦しみの原因です。

熊野の友は、自分はいないと言います。そうですね、、、私自身はまだ自分はあるように感じますが(感覚があるのでね)あらゆる定義(定義は思考です)を取り去っていくと、言葉で言い表せない・・・・・だけが残ります。そこにはいい悪いも正しいも間違いも成功も失敗もありません。大事なものなんて何一つない感じなんです(みんな捨てているのでね)。そんな気分で道を歩いていたら、アスファルトが急に存在感を持って迫ってきました。あれ?どういうこと。それまでどうでもよかったものが急に存在感を増してきました。え?え?え?すべてが大事じゃないと思ったら、すべてが大事になってきた???不思議な不思議な感覚でした(よくワンネスとかってざっくり言うけれど、すべては一つだったら何一つ排除しないってことですね。そしてあまり語られませんが、すべての価値が等しく感じるということです)。

昨今、富や成功を求めるセミナーが猛威?を振るっています(成功もOKですよ、別に死ぬほど稼いだっていいんですよ~)。しかし、個人がよくなろうよくしようという作戦はたぶん失敗に終わるかと思います。成功を求めれば失敗も同時に生成されるからです。一つの極を目指せばもう片方の極も立ち現れるのです。そうだとはうすうすわかっていても、シーソーゲームから降りるのが恐いのですよね。わかります。私みたいにシーソーから突き飛ばされなければ普通降りれません(笑)では、どうすればいいか、、、やはり自分はいないということに目覚めるしかない、と私は思うのです。ゼロとか白紙にするものなら害がないかなと(ホ・オポノポノとかアクセス・バーズとか)。ま、これも思考で言ってることですから、真に受けずただちに捨て去ってくださいね(笑)

(こんなふうに文章化すると、また熊野の友からダメ出しがあるんですよ~。友は、私が30年以上かけて集めてきた美しいスピリチュアルコレクション(思想のことね)を片っ端から叩き潰してくれるんですよ~。ありがたや~(涙)

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。