夫が亡くなって5年5カ月。早いものです。
悪性脳腫瘍の手術の後遺症で認知が下がり、半盲になり、仕事も出来なくなってしまった夫。青天の霹靂のような告知から8年生きました。
元からチャネリングが出来た夫は何故だか術後さらに磨きがかかり、聞こえるだけではなく見えるようにもなりました。ある日の仕事中、夫からメールが来ました。そこには私の亡き父から「もう夫婦の関係は終わっても良いぞ」とメッセージが来たと書いてありました。帰宅するといつも通り夫はもう寝ていました。そのあくる日、朝風呂の習慣のある夫は風呂の中に沈んでいたのです。サヨナラも言わずに逝ってしまいました。検視によると心臓発作でした。

突然亡くなる数か月前から、夫は何度も言っていました。「君のお父さんから『感謝だぞ』って入ってくる。君が大丈夫になるまで一緒に居てやってくれって頼まれていたんだけど、もういいみたい。僕はもうすぐ逝くみたい。」脳腫瘍の再発で苦しみながら死んでいくのかと思っていましたが、すぅーっとお風呂の中で眠るように楽に逝ってしまいました。赤ちゃんの時の事故が元で片麻痺もあり、吃音にも悩まされ、お金には縁はなく、最後は悪性脳腫瘍…。隣で見ていている私も地獄のような日々でした。そのあまりの惨めさに悲しみと怒りの直線上を行ったり来たりするしかありませんでした。

愛する人を亡くした人は皆そうだと思いますが、私も一日一日を凌いできました。心にポッカリと開いた穴を埋めることは友達でも出来ません。一人で心の痛みに震えながら様々な感情をしっかりと味わいました。これを喪の仕事というのだそうです。
最近気づいたのですが、夫に対する感情に変化がありました。私は毎日手を合わせ、感謝を伝えています。以前は胸が苦しくなるような焦がれるような思いがあったのですが、今は薄くなってしまったのです。(あれ?私は薄情になったのかな?)とも思ったのですが、違うようです。
奇跡講座を学び、ゆるしを実践してきました。そして、感謝の行もしてきました。そのおかげだと思うのですが、夫に対して(申しわけなかった)という気持ちがなくなっていることに気づいたのです。

夫へのエゴ的な執着が薄まり、その分出会う方々への愛が増えました。あえて説明するならば個人への執着の情が「愛情」から取れて、不特定多数への「愛」に変化した感じなのです。表現としては「夫」と呼んでいますが、以前のような自分の所有物のような感覚もありません。
愛って本当は自由だったんだなとやっとわかりました。亡くなってからわかるなんて遅いですけどね(笑)私は筋反射で夫と対話出来るのですが、夫も(先に死んでしまって申し訳ない)とか全く思っていないとのこと。執着や罪悪感がないって本当に平和です。2020年の8月に東京女子医大で悪性脳腫瘍を告知された帰り、夫はタリーズで振り絞るような声で「申し訳ない、申し訳ない」と私に繰り返しました(自分が悪くて病気になったんじゃないのにね)。医療者であった夫はグリオーマ(神経膠腫)が最悪のものであることを知っていたのです。あんな酷い思い出も今は夢のよう。もう何にも縛られていない私たちです。
いずれは私も肉体を手放します。まだ肉体を持っている私ともう肉体のない夫と、そんなには違わないと思うんです。これからも夫だとか妻だとかいう役割を手放し、愛と敬意を持って出会い続けていきますよ。(^_-)-☆
