東京・杉並・西荻窪の施術室、てるこの部屋です。
昨日のことです。例のごとく、私は月に一回のお墓参りのために茨城に帰ったんです。いつものように駅からタクシーで行くと、墓地には何台かの車が。(ああ~、そうか。お彼岸だからみんな来ているんだな)すると突然、誰かが私に声を掛けてきました。「来てくれたの?」

その声の主は妹の旦那様でした。(…ということは妹もここにいるのか…)妹夫婦とは一体どれくらい会っていなかっただろう。7~8年…いや10年以上会っていないかもしれません。私たち姉妹はある出来事がきっかけで音信不通になっていたのです。その墓地と10分も離れていない場所に妹の家があるのに、私はいつもお墓参りだけでとんぼ返りしていたのでした。
「お姉ちゃん!」妹は驚きの声を上げました。その顔はまるで子どもの頃のような、何のわだかまりのない顔でした。そしてこう続けました。「私、今日初めて気が付いたんだよ。うちのお墓だけどうしてこんなにキレイなんだろうって。」私が毎月お墓参りに来ていたことを告げるとさらに驚いて「お姉ちゃんは来ていないんだって思ってた…。もう来ないんだって勝手に思ってた…。」
私も妹にはもう一生会えないかもしれないと思っていました。妹のことは私の人生の中の唯一の引っ掛かりでした。それが突然心の準備もなく会えてしまうなんて!5分ずれただけでも会えなかったはずですし…。しかし、疎遠になっていた私たち姉妹がお彼岸にただ再会できたことを不思議と言っているのではありません。

妹は興奮しながら話し続けます。「今朝、夢を見たんだよ、お姉ちゃんの夢。私が夢の中で『お姉ちゃん、元気でいてください。元気でいてください』って必死に言い続ける夢だった。お姉ちゃんの夢なんてほとんど見たことなかったから不思議だった。そうしたら、ここで会えたからびっくりしたよ。」さらに妹は話し続けます。「私だけじゃないよ。○○さん(妹の旦那様)も二日前にお姉ちゃんの夢を見たんだよ。お姉ちゃんが私の病気について心配しているけれど、病状を聞きたくても聞けなくて悩んでいる夢だったんだって。」「私たちがお姉ちゃんの夢を見ることなんてなかったから不思議だねって話していたんだよ。」
そうなんです。妹は数年前に癌を患い、それでも私は会いに来ていなかったんです。いちばんの気掛かりだった身体のことを私は尋ねました。「すごーく元気だよ。」ああ、その言葉だけで充分でした。

妹たちは本当はあの時間に行く予定ではなかったそうです。ご先祖様は一体どんな力で私たち姉妹をあの日あの場所あの時間に引っ張ったのでしょうか?いや…そんなことは実は簡単なのだろうと思います。そこに働いている力は「愛」ですから。
きっと愛は自然なもの、いのちの自然な姿なのだと思います。それを難しくしているのは自我です。自我は「恐れ」を動機にしています。私たちが10年近くも会わなかったのは正しさやプライド、罪悪感等の恐れが原因でした。いちばん身近な妹に対して愛を選ぶということが私にとってはとても勇気のいることだったんです。
しかし、私は愛を選ぶという実践を続けてきました。帰りの常磐線では(お前は少しずつ進んでいるよ。自分でも認めなさい)とご先祖様からご褒美を頂いたようなホカホカ気分になりました。遠く離れていても心は繋がっていることがわかりました。そして…やっぱり愛を選ぶとすべて上手くいくことをさらに確信したお墓参りでした。