からだと潜在意識を整えて、楽に自然に生きる。福井てるこです。
人生には本当にうまくいかない時がくるものです。そんな時、なんとかしようと焦ってもがいてどんどん泥沼にはまってしまう人もいます。恥ずかしながら、この私がそうでした。
夫が2012年の8月に悪性脳腫瘍と診断され、手術・抗がん剤・放射線の3大治療を受けました(抗がん剤は途中で止めましたが)。治療の後遺症?で認知が低下し、半盲になり、仕事も出来なくなりました。それをなんとかしたいと沖縄県北部に住んでいるヒーラーに600万円もつぎ込んでしまったことがあります(半年間の滞在費も含めると全部でとんでもない金額を使いました)。お金で夫の症状がチャラになるならば、と安易な考えだったんです。
実は初めてそのヒーラーに会った時、私の身体は(あかんな、これ、、)と反応しました。しかし、頭がその直感をねじ伏せてしまったのです。この人に治療してもらわないと夫は助からないと言い聞かせ、半年間も沖縄に滞在させてしまいました。そこで次々に亡くなっていく患者さんたちを見ながらも、その治療をやめる決断は難しいものでした。元傭兵という強面のヒーラーは確かに何らかの力がありました。ただ、その戦車のような肉体の奥にある彼の臆病さにも私は最初から気づいていたのです。それが何かははっきりと言語化は出来なかったんですけどね。(その頃、アクセスを知っていれば、簡単に軽い重いで選択出来たのですが、、)お金はのちに全額返してもらいましたが、、、いい勉強になりました。人間って痛~い思いをしないと身につかないものですね。
結局、誰かに治してもらおうとしても無理なんです。「俺の言う通りにすれば必ず治してやる!」と支配的なヒーラーさんは言っていました。夫以外にも4人の脳腫瘍患者が来ていましたが(ずっと沖縄に滞在して治療しているのです)、ヒーラーさんを神様のように崇めていた方は全員亡くなってしまいました。たくさんのお金を使って、自分の力を明け渡してはいけないということを学びました。誰かに自分の未来を委ねてはいけないんです。肉体は生きているけれども、選択権を誰かに握られて生きていて楽しいでしょうか?私は、人生の舵は自分以外の誰かには絶対に握らせないと決めています。たとえ、死んでも、です。
魂は(魂とか言うとちょっとスピっぽいですが)、肉体が生き延びることよりも自己の本質を生きることが望みだと思います。それにはこの人生に全責任を取ることです。
昨今、病気をやめるには「ゆるす」ことが大事だと言われています。出来事や相手や自分をゆるすことですが、これは責任を受け持つことだと私は思うのです。あいつのせいで私はこんなになってしまった!とか、あの出来事のせいでこんな生活だ!という思いを持ち続けているということは、責任を自分以外の誰かや何かに明け渡しているということです。これをやっている限り、あなたは完全に健康になったり完全に幸せになったりすることは不可能でしょう。考えてみてください。(私が幸せになれないのは○○のせいだ!)と信じているということは、自分には自分を幸せにする力がないと信じているということなのです。この世界は自分が信じていることが真実になります。だから、被害者でいれば被害者の現実を体験し続けることになってしまうのです。この世界は自分が作っているからです。この世界はそのままで完全なのですが、それをそのまま受け入れずに、ここは嫌だ、ここだけはどうしても排除したいと抵抗・拒絶していることが苦しみの原因なのです。なので、すべてに責任を持つことが必要なのです。
こんなことをいうとスピリチュアル?って思われそうですが、私にとってはこの考え方がとても機能しているのでこれが好きです。なので、よろしければこの考え方をあなたも採用してはいかがですか?というスタンスでこれを書いています。
極端なことを言えば、どんな手法もセラピーも必要ないと思っています。アクセス・バーズもマトリックス・リインプリンティングも催眠療法もです。たった今「私は自分の人生に全責任を取る」と決めればいいだけです。でも、そうは言っても長年の思考の癖や自動的な反応プログラム、そして反応プログラムを支えているイメージや感情エネルギーの積み重ねのほうがなかなかに強いのです。そのリアルに感じる恐怖(本当は幻想です)に絡めとられてしまうのです。早々にくじけてしまうのです。なので、セラピーやヒーリングで薄皮を一枚一枚剥いでいく人がほとんどです。私の仕事は、ものの見方をニュートラルにしていくお手伝いです。長年の被害者意識を創造者意識へと変化変容させていくのは正直に言えば簡単ではありません(←これも私のものの見方ですが、、)。ただ不可能ではありません。まず「選択」なのです。本気で自分の人生を変えていくかどうかの。
「私はダメだなぁ、何にも変わってないなぁ」と焦ったりがっかりしつつ、ちょっとずつちょっとずつ完全性を受け入れる道を誰もが歩いています。この人生ですべては無理かもしれないけれど誰もがきっとそうなんです。それを3回の人生でやるか、1回の人生でやるか、300回の人生でやるか・・・どれでもいいんです。いい悪いはないんです。50年でやるか10年でやるか、3年でやるか・・・短いほど濃厚できついですけどね(笑)そして、どんな道のりを歩くかは自分で選んでいるんです。富士登山で言えば、吉田ルート・須走ルート・御殿場ルート・富士宮ルート、、、いろいろありますが、そんな違いなだけです。頂上に上ってしまえば見える景色は同じです。きついのが好きか、楽なのが好きか、景色がいいのか好きか、、、ただ、自分で歩かなければならないのは、どのルートでも同じです。さあ、地球も変わってきましたよ(スピっぽいですね~(笑)自分の人生に全責任を持って歩いていきましょう!それが統合ということだと私は思っています。