無限なものと、有限なもの

今年になってから、何人かのクライアントの方が
あるビジョンを見ています。
私は、そのような誘導をまったくしていないのに、
何人かの方が、同じ壮大なビジョンを見てしまうのです。
不思議です。世の中が変わってきたのでしょうか?


その壮大なビジョンとは、直接的に関係ないのですが、
私は、なぜか藤沢秀行を思い出してしまうのです。
最後の無頼派と言われる秀行(しゅうこう)は、豪放磊落で破天荒な囲碁棋士でした。
酒を女とギャンブルに溺れ、三度の癌(胃癌、悪性リンパ腫、前立腺癌)を
克服しました。
その秀行が、NHKのドキュメントの中で、
「碁は無限。無限の世界の中から、一手を選ぶ難しさ、怖さ」のようなことを
語っていたのです。
私はその時、秀行を中心とする宇宙空間に、
神経細胞(ニューロン)がクモの巣状に
無限に広がっているビジョンを想像してしまいました。
無限の中から、どこを切り取るか、どこに着目するかで、
次の一手が大きく変わってしまうのです。
どこでも選べる、無限の漆黒の闇の怖さ。
無限の怖さを感じました。
どんな手を選ぶかという思いは無限に広がりますが、
囲碁の勝負には、時間の制限がありますね。
「20秒ー」「10秒ー」というあの独特の言い回しで、タイムリミットを告げます。
これをその名の通り、「秒読み」と言うそうです。
私たちのスピリットは、無限です。永遠です。
様々な体験を楽しむために、冒険しろ冒険しろ!と言ってくるようです。
しかし、ボディは有限なのです。
この肉体は、寿命という時間制限があるのです(0~120年くらい)。
この肉体(だけ)を自分自身だと思ってしまうと、苦しみが生まれます。
「20秒ー」「10秒ー」と時計係が急き立て、焦らすのですから。
そして必ず、ゲームセットになるのです。
でも、対局が終わっても、棋士たちが消えてしまったわけではありません。
魂は無限で、肉体が有限、、、。
このあたりが、私たちの混乱の一因かもしれません。
魂は、冒険者なのです。
素敵な体験も、怖い体験も、痛い体験も、苦しい体験も、複雑な体験も、面白い体験も
何でも何でも体験してみたいのです。やってみたいのです。
ところが、肉体は保守的なのです。
エゴ的といってもいいでしょう。
守りたいのです。
いつまでも若くいたい、私の愛する人と別れたくない、死にたくない、、、。
変化を恐れるのです。
この相反する2つのものを携えている私たち人間は、
その扱いに苦慮しているのです。
だから、催眠療法や瞑想などで、
自分の奥底の願いや思いに触れ、本当の安心を得るのです。
無限なるもの、永遠なるものと繋がる安心感が、人生をより良くするのでしょう。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。