カルマって、精神世界ではお馴染みの言葉ですね。
日本語では、業とかっていいますね。
前世でしてしまった悪いこと(良いことも)のつけを払うってイメージでしょうか?
例えば、前世で、戦争か何かで相手の頭に一撃を食らわしてしまったら、
今世では、自分の頭に事故か病気でダメージを負う、、、なんていうような。
ある人によれば、カルマとは、「前世で体験しなかった体験をすること」だそうです。
松本東洋さんによれば、「生涯にわたって、こだわってしまうこと」だそうです。
ぼんやりと、松本東洋さんの意味のカルマを考えていました。
すると、バァーンと脳裏に浮かび上がってきたのです。
それは、鍼灸治療の仕上げにクレニオをしていた時でした。
患者さんと脳波が共鳴して、お互いにアルファ波、シータ波になっている状態なので
施術者も、潜在意識と繋がってイメージや直感を受け取りやすくなるのでしょう。
私が生涯にわたってこだわってきたことは、「死」でした。
幼い頃「死」というものが理解できた頃から、その理不尽さに納得がいきませんでした。
どうせ死ぬのに、なぜたくさんのことを学ばなければいけないんだろう。
何もかも失うのに、なぜ手に入れようと必死に努力しなければならないんだろう。
最後は死んで無になってしまうのに、なぜ生きていかなければいけないんだろう。
本当に変わった子供だったのです。
自分が死んでいく場面を想像しては、布団の中で泣いていました。
あーせめて、堂々と死んでいきたい、、、そんな願いを持っていました。
私の人生の基調は、「死」でした。
「死」の謎が、人生のベースにいつもあったのです。
そして「死」の謎が、私を精神世界に引き入れました。
瞑想や内観など様々な自己探求をやりました。
今もなお、何ひとつ全くわかっていません。
そしていつしか、「催眠療法」というものを生業にするようになってしまいました。
催眠療法は、より良く生きるためのものです。
催眠療法は、自分自身で答えを発見するための優秀な道具です。
精一杯生きれば、死の謎が解けるかもしれません。
そして、子供の頃の願い「堂々と死んでいきたい」が達せられるかもしれません。
私は、催眠療法をベースにしながら、他の方向に進むような気がしています。
人がより安らかに死んでいけるような、そんな誘導をするような気がしています。
「チベット死者の書」のような感じです。
それが、私の魂の望み(=カルマ)かもしれません。
そこだ、そこだと私の中の何かが言っています。
放っておいても、カルマならきっとそこに行きつくでしょう。
成り行きを見てみることにします・・・