東京・杉並・西荻窪の施術室、てるこの部屋です。
少し前に体調を崩していました。こんなことは珍しいんです。毎日自己施術をバッチリしているのですから。
筋反射で尋ねてみると(意識の変容のために必要だった)というような答えでした。身の置き所がないという感じで、なんというか体の全部が辛かったんです。

朦朧とする微睡みの中で私はどんどん下へ下へと落ちていくようでした(まるでヒプノセラピーですね)。これが底だなと思うところに辿り着くとこんな思いが湧き上がってきました。今さらカッコつけてもしょうがないので書きますね。(罪悪感がこんなにたくさんあるのに、私はそれを認めていない、隠している)とそんな言葉がピッタリくる感じでした。私は自分の「罪悪感溜まり」を見つけてしまったんです。
そしてその翌日の微睡みの中では(私は自分をゆるしていないから苦しいのだ)とまたもや浮かび上がりました。

そうか…ゆるしてゆるしてゆるし続けるしかないんだな…意識のどん底で私は合点がいきました。
私たちを苦しめる問題のほとんど(病気や家族のことから国家間の紛争まで)が自分をゆるさないことから起きていると言ったら言い過ぎでしょうか。たぶん、この言葉には多くの方がまだピンとこないでしょう。でも多くの方は表面的には問題なく振舞っていても、奥底では自分を嫌い、絶えず自分を責め続けているんです。これは生まれてからではなく前世や集合的無意識のものもたくさんあると思っています。自分を真にゆるしていれば、他人も真にゆるしているはずですし、真の平和が訪れているはずです。
私たちがなんとなくいつも苦しいのは、山のようにある罪悪感のせいです。自分を罪深いと思い込んでいるからです。そして、罪悪感を動機として生きているからです。これは地獄です。
そして…いちばん大切なことですが、本当はゆるすべきことは何もないんです。私たちは無辜ですから。これは奇跡講座の要点でもありますが、知的な理解ではもちろん何の役にも立ちません。体験を通して学ぶしかありません。それが今回の身体の不調を通して起こったようです。私はこれほど「自分は罪深い」という幻想を握りしめていたのかと…たいへん感慨深いものがありました。

不調も時には必要ですね(本音はもうごめんですけど)。思考が停止せざるを得ないので、言葉にならないような深い思いに気づくことが出来ました。そして結論になりますが、自分が自分をゆるそうとしても無理です。自我には自我をゆるせません。なので、自分より高次に位置するものに委ねるのが、自我を通さない最適解です。自分がどうこうしようという我を捨て、ただ大宇宙に身を任せてみようと思います(毎回こんなこと言ってますけどね)その身を任せる度合いが心の平和の度合いになるような気がしています。まぁ、これも人生の実験だと思っています。
