有名な刑事コロンボのセリフですね。
この人が犯人だと思う人から、いろいろ聞き出し、帰ろうとしたあと、
「あっ!そうそう、最後に一つだけ。」と、最も重要なことを最後に聞くのです。
コロンボが帰ると思って安心した犯人は、油断して証拠を掴まれてしまうのです。
これは、私たちでもよくあることです。
ほっとすると、無意識の本音がすーっと出てしまうのです。
私はまさしく、これをされました。
もちろん刑事にではなく、初めて受けた催眠療法で、です。
素晴らしいセラピストの方に出会い、セッションを受けたものの、
「死はなんでもないよ」というビジョンが現れ、到底受け入れることはできませんでした。
やっぱり、夫は死んでしまうんだと打ちひしがれた思いでいっぱいでした。
「力になってあげられるといいんだけど、、、。」と、セラピストさんも残念そうです。
その正直な優しさだけでも、本当にこの人にセッションを受けたかいがあったと思いました。
ところが、いざ帰る段になって席を立とうとすると、「そうそう、、、」と言い始めたのです。
「最後に質問しますが、いろいろ難しいとは思いますが、
どんなふうになれば、あるいは何をすれば、ご主人は治るような気がしますか?」と。
この期に及んで、、、とは思いましたが、こんな言葉がふっと浮かんだのです。
「私が大人になれば、主人は治るかもしれません。」(そんなわけはないだろーと内心思う私)
「それを今、やってみることはできませんか?」と、セラピストさんは言いました。
「無理です。私はずっと主人に依存してきました。大人というか、自立なんて無理です!」
(思いっきり拒絶する私でした)
セラピストさんは残念そうに「そうですか・・・」と言いました。
それで、セッションは終了しました。5時間かかりました。
催眠療法なんて何にも変わらないじゃないかという思いでした。
その時は全く失敗だったと思っていましたが、実はそんなことはなかったのです。
がん患者である夫をサポートする私の課題は、「自立」だったのです。
夫が健康になり長生きしても、あっという間に死んでしまっても
どっちに転んでも、私が自分の足で立つことが、「私の人生」で最も重要なことだったのです。
歪み切った夫婦のバランスに再構築を促すために、夫の癌がやってきたのでしょうね。
夫にとっては、他の個人的な意味もあるのでしょう。
しかし、私にとっては、私が成長するための贈り物といってもいいかもしれません。
とにかく、私たち二人のバランスが崩れていました。
私は鍼灸師ですから、東洋哲学の概念で考えます。
陰極まれば陽になる、陽極まれば陰になる、、、。
裏が大きければ、表も大きい、、、。
物事は、一方の極に振れれば、また対極に振れるしかないのです。
必ず、自律的にバランスをとろうとするのです。
癌は、、、私たち夫婦の大きな歪みを調整してくれました。
決して、突然意味もなく現れた悪魔ではないのです。
そして、、、私たちは誰でも、心の底では知っています。
何でこうなったか。どうすれば解決できるか。
知っていることを「思い出す」のが、潜在意識の領域にアクセスする催眠療法です。
また、催眠療法は、頭で理解するのではなく、「体験」します。
自分が恐れていたこと、悔しかったこと、悲しかったこと、寂しかったこと、、、
リアルにリアルに体感します。
爆発的な感情の解放も起こり得ます。
本当の本音を、しっかりキャッチ出来れば、あとは展開されていくままにまかせるだけです。