杉並区西荻窪の治療院、てるこの部屋です。
最近、私自身が大きな転換点を迎えていました。
飽和点というか、限界点というか
もういっぱいいっぱいでした。
昨年の夫の死である程度終わったのかな
と思っていたのですが、
全くの見当違いだったんです。
今、私の目の前に来ているのは
恐怖からの跳躍の機会です。
その機会とは…
まるですべてを失ってしまうかのように
見えるのです。
しかし、逆なのです。
私たちはいつかはそこへ
飛び込んでいかなければならないのです。
私たちが恐怖を本当に卒業するには
恐怖の中に飛び込んでいかなければ
ならないのです。
それは…
準備の出来た人にしかやって来ないのです。
傍目にはまるで転落のように見えるかもしれません。
私たち誰もが持っている、
不安・心配・恐怖という分離の視点から
抜け出るには、大いなるものが両手を広げて
いつでも私たちが飛び込むのを待っていると
いうことを真に理解し、体験しなければ
出来るものではありません。
仕事やお金、パートナーなどなど
どれもこれも生存のための…
つまりは死の恐怖から渇望してしまいます。
それは地球的な生き方・処世術で
当たり前と言えば当たり前のことです。
誰もがそこを通過するのですから
思う存分に追い求めていいのです。
しかし、子どもが大きくなって
今まで着ていた服が窮屈になるように
一気に成長しなければならない時が
誰にでもやってきます。
それを恩寵と呼ぶ人もいます。
すべてを捨てて大いなるものに飛び込む…
そんな絶頂の体験を夫はしました。
今度は私の番です。
夫は何も手出しせず、この私が飛び込むのを
辛抱強く待ってくれています。
根深いこの恐怖は…
神と離れているという錯覚から
起きていたのだとハッキリわかりました。
順番が逆なんです。
神、自然、宇宙、大いなるもの…
それをどの言葉で表現してもいいのでしょうが
それと一つだということを
まず理解し、そう生きることが
不安・心配・恐怖を一掃するのです。
(知識で知っているだけでは無理ですよ!)
しかし、地球的な三次元的な処世術は
お金や仕事、パートナー…それを手に入れれば
あなたは安心しハッピーになれますよと
しつこくコマーシャルしてきます。
というか、私たち自身が自我的なものにしか
反応しなくなっているのです。
そして、様々な代償を支払って
どんなに頑張って手に入れても
自我の視点で追い求めたものは
一瞬の満足でしかありません。
飢え渇きが真に満たされることはありません。
ありがたいことに…
私は地球的な自我的な洗脳を解くことが
出来つつあります。
大きな大きな痛みを伴って…ですが。