今さらこういう話を書くのも、
最近は当たり前すぎてつまらないかも
しれませんが・・
自分のために書いておきます。
今年の5月、ある若い女性のブログを
読んでちょっと目から鱗が落ちました。
オーストラリア在住のゆりなさんという方です。
「私たちは、学ぶために生まれてきた
わけではありません」と書いてありました。
ゆりなさんは今年の2月に覚醒された?
そうです。
私たちの魂は、成長する必要がないと
書かれてありました。
(えっ?人生は学びじゃなかったの?)
私たちの魂は、宇宙(大いなる根源)と
同一のものだから、全知全能だから
成長する必要なんてないのだ
ということなのです。
死んで魂が肉体から離れれば
エゴもなくなるそうです。
エゴは、高次元にあった魂をこの世に
降ろすためにあるものだそうです。
全知全能の魂は、様々な体験がしたくて
地上に形を持って降りてくるのですね。
ゆりなさんのブログを読んだ時
本当に安心しました。
私はいつも自分にとても厳しくて
まだまだ足りないと無意識に自分を
追い立てていたからです。
(そうだったな・・・
本当にそうだったな・・・
私たちは、今この瞬間も完璧なのだ。
だから、ここから成長なんて出来ないのだ。
ははは、成長なんて出来ないのだ。)
思い出したことがあります。
以前の私のブログに書いていますが
真昼間の荻窪で、自分の身体が透明に
なってしまったこと?があります。
鍼灸治療の往診に向かっている時、
ぽかぽか陽気の気持ち良さに
こりゃ幸福以上だなぁなんて思いました。
幸福を超えて、至福かもなんて
感じた瞬間、なぜか身体がどんどん透明に
なっていき始めたのです。
えーーーーーー、あまりの出来事に
真昼間の荻窪の住宅街の細い道で
私はパニックになりました。
「透明になったら、消えちゃう!(当たり前か)」
と思い、とっさに息を止めました。
すると、透明になるのは免れました。
ふーーーーーーーーっ。
(あーーー、危なかった。
幸せになったら消えちゃうんだ。
人間は、いつも不幸や問題を持って
いないとこの地球上に肉体を
構築出来ないんだ。不幸や問題が
地球につなぎとめる重しの役割なんだな。)
そんな気付きが一瞬にして降りてきました。
そして、偶然なのか何なのか
この翌日、夫の悪性脳腫瘍が見つかったのです。
私たち人間は2つのもので出来ています。
永遠で無限で完璧な宇宙そのものの魂と
いつかは朽ちる有限で不完全な肉体です。
私たち人間は2つのもので出来ています。
見えないもの(魂)と
見えるもの(肉体)です。
私たち人間は2つのもので出来ています。
すべてである魂と
個である肉体です。
私たち人間は2つのもので出来ています。
形のないもの(魂)と
形のあるもの(肉体)です。
生まれて何十年かして
死ぬと(肉体が死ぬと)
魂だけになります。
私はこんなふうに考えています。
存在するすべてを「宇宙」とするならば
その中の空間の一部をぱっと両手で
おにぎりを握るみたいに空気を
閉じ込めたのが人間かなぁと。
中身は空間と同じ空気なのです。
ただ両手という殻(肉体)に閉じ込められて
いるから、個別に存在するように見えるだけ。
時が来て、両手を広げてしまうと
中身の空気はまた空間に混ざり合います。
まるで何事もなかったかのように。
一時だけ、形を持ったものが
また形をなくして・・・
すべての空間の中に溶け込んでいく・・
結んで開いて、結んで開いての繰り返し
私たちは2つのもので出来ています。
形のあるものと形のないものと。
相反する性質のものが一緒になって
いる人間というものの不思議。
肉体が死んだら、形のない存在として
生き続けるだけだと思うのです。
だから・・・
私たちの中身はどれも完璧な魂。
これ以上成長なんて出来ない。
出来るはずがない。
成長しようと頑張りたい人はすればいい。
私はもう学びなんてやめました。
中身は完璧な魂。
でも、外側がいろいろですね。
洋服が違うだけって感じかな?
その違いを楽しみたいと思っています。
形という個性を楽しみたいと思っています。