8月の終わりにやってしまいました。
同じことを学んでいる女性がうだうだ言っていたのでガツンと言ってしまったんです。「あきらめんな!本気でやれば出来るから!出来ないわけがないんだから!」
私の中の松岡修造が出ちゃったんです(余計なお世話と思いつつ、時々熱くなっちゃって、つい修造が出て後悔するんです)。すると、その女性は涙を滲ませながらこう言いました。「私は…先輩修道女に叱られている後輩修道女みたいです…。」(うまいこと言うじゃん!)と思いながらも、ハッと思い出しました。実は私を修道女と言ってきた方はこれで三人目です。それもただの修道女じゃなくって「先輩」修道女!この女性以外にも『過去世でてるこさんが先輩修道女で私が後輩でした』と言われたことがあるんです。
また以前、霊視の出来るクライアントさんのアクセス・バーズをしていたら、私自身の過去世が出て来てしまったことがあります。どうやら、ある過去世で厳しい?修道女だったようです。と言っても、後輩いじめとかではなく、神に使える身として人一倍頑張っていたようで、私と同じようには努力できない後輩たちに苛立つことが多々あったようです。それで後輩たちから「てるこ修道女さんって怖~い!」と思われていたようなんです。(その時同じ修道院にいたと思われる方が、今クライアント様として何人かいらしてます。)
過去世の私はひどく貧しい生活をしながらも、志は高く持っていたようです。仲間からなんと言われようと神に恋焦がれていたのです。ところが死ぬほどの努力をしたのに、自分が望んだような神との結びつき?は得られなかったようで、何があったかはわからないのですが人生の最後になって「神はいない!」と絶望したようなんです。その修道女は死後の世界で頑なに全てを拒否して殻に閉じこもっていました。
クライアントと私は、その修道女に愛を送り続けました(これってブルース・モーエン的なリトリーバルですね!小難しい手法は一切必要無し!相手が変わるまで愛を送り続ければいいんです!こういうことを催眠療法でもしています)。するとその修道女の固くなった心と身体が徐々に緩み始めました。そして彼女は、修道女の印である衣服を脱ぎ始め、生まれたままの姿になり、光に包まれて天に昇って行ったのです。彼女は自分の属していた教会の教義という枠の中でコチコチに固まっていたのですが、それこそが神と彼女との繋がりを難しくさせていたようです。彼女は所属していた教会から自由になり、修道女というアイデンティティも捨て、全てを手放しました。何者でもなくなり、待ち焦がれていた神の愛の中に溶け込んで、神とひとつになったのです…。
ここまで書いてハッとしたのですけど、修造の修って修道女の修ですね!これからは私が暑苦しく語り始めたら「出たよ、修造女!」と言って戒めてくださいね(笑)↑いい話なのについ自分で茶化してしまうんです~悪い癖だな~。