今年、サイモントン療法の合宿に参加したからでしょう、
がん認知行動療法学会というところから、DMが届きました。
「臨床におけるスピリチュアリティ」ー医療現場で「希望」と「信頼」をどう育むのかー
というセミナーの案内でした。
この一文が目に留まりました。
現在の医療の現場ではEBM(Evidence Based Medicine)を軸として、その診断、治療がいかに
科学的に裏打ちされたものかどうかが重要視されます。しかし、EBMが「厳しい」状況と判断した
場合、果たしてそこに「希望」の入り込む余地はあるのでしょうか?
癌のなかでも、初期のがん、予後の厳しいがん、いろいろありますね。
その厳しい癌と言われた時、どうやって心を立て直していくか、です。
あきらめや、もちろん投げやりでもなく、
かといって、無理やりのポジティブシンキングでもなく、
現実逃避でもなく。
エリザベス・キューブラー・ロスの受容の5段階というのがありますよね。
私なんか、夫の癌告知に対して、ずっと「否認」でしたよ。
どう考えても、漫画やドラマのように現実味がなくて、受け入れることができなかったのです。
だって、そうでしょう。
健康な人間が、いきなり
「手術しなければ3カ月でホスピス。手術しても半盲になり、海馬がやられているから、
他人の感情や表情がわからなくなる。完治はない。延命だけだ。」
と、バッサリ言われるんですもの。
人生観、死生観は人それぞれなので
こうやれば患者は希望を持てるよという方程式のようなものはないでしょう。
しかし私たち夫婦の経験では、「希望の処方箋」は、
「治った人に会う、治った人の話を聞く」でした。
逆に、治癒の道の妨げは、不安や恐怖でした。
がんは、心の持ちよう、在り方が大きいですね。
秋田のヒーラー佐々木さんからはこう言われました。
「怯えて怯えて、10%のエネルギーで最期の日まで生きていくより、
治ってなくても治ったと思って100%のエネルギーで最期を迎えるほうがいいじゃないか」と。
また、夫の死に怯える私に笑いながらこう言ってくれました。
「心配すんなよ!おまえさんも死ぬから!」
人間て、自分だけは死なないって思っているもんですね。
プスッと、力が抜けました。張り詰めてるとロクなこと考えないですね。
私たち夫婦の場合は、催眠療法が功を奏しました。
知識ではだめだったのです。データも役にたちません。
体感すること、感動すること、感じることが新たな扉を開いてくれるんです。
天下一品の心配性が、ヒプノセラピーによりシュルシュルとしぼんでいきました。
夫がどうなっても、自分は一人じゃないという安心感が増していきました。
ぐるぐる考え抜いて頭がパンパンになってしまったら、対極をやりましょう。
思考の反対は、感じることです。
顕在意識ではなく、潜在意識の力を借りるのです。
希望への道の一つかもしれません。