スティーブンは、精神世界の罠についても言及しています。
「ヒーリングがさまざまなレベルで起きることを理解するにつれて、肉体的に
治らなかった人びとになんらかのスピリチュアルな、あるいは心理的な欠陥が
あったわけではないという点もはっきりしてきた。」
この視点は、とても重要だと思います。
「・・・肉体的に癒された者ばかりに「スーパースター」やら「別格の患者」やらの
呼称をささげる一部の医師に対して、わたしたちはいくらか不快をおぼえるように
なっていた。それでは病気がすすんで死に達した人びとは標準以下の二流どころ、
とでもいうのだろうか?からだを癒す者のほうが、癒さない者よりなんらかの意味
で「すぐれている」などという混乱したエリート主義は、人生最後の病気が必然的
にやってきて、わたしたちをごく自然に肉体の外へ移行させる、そんな死の床に
挫折感として戻ってきやすいのだ。死は挫折ではない。それはむしろ、癒しの道
を生きつづけ、より大きな学びと成長に向かっていくプロセスにおける、ひとつ
の出来事にすぎない。」
「ほとんどなんの努力もなしに癒しに導かれていく者もいれば、なんどもつまずい
ては転び、自分が完全な存在になるための偉大な能力を備えているとはどうしても
信頼できす、「どのレベルでヒーリングは見つかるのだろう?」とはどうしても
問う気持ちになれない者もいた。わたしたちは、生きのびた患者たちにも魂にいた
る深い癒しを見、また亡くなった患者たちにも奇跡的な癒しを見た。
この本質的なバランスを発見したのち、病から自由になることもあれば、そのまま
死に向かうこともある。周囲の者全員に平和をもたらすようなやりかたで自分の
内面を癒し、しかも肉体はそのまま朽ちていった人びともいる。」
「病気は挫折ではなく、苦痛は罰ではないと知ったのは、こうした患者たちだった。
苦痛と病を癒しの気づきをもってさぐり、みずからの自信のなさ、不信感、人生を
すぐに「耐えがたいもの」とみなしてあきらめようとする気持ちをよく吟味してい
くと、そこに新しい方向性がたちあらわれる。病気のもたらすどの瞬間からも
教訓を受けとっていこうとするあらたな意欲である。」
「苦痛をいつも克服するよう条件づけされ、それが癖になってしまっていると、
ことが思うように運ばないときの打撃があまりにも大きい。かわりに、ほかの
誰かの苦痛を「やっつける」必要を感じるほどだ。すると、ありのままのその人
とつながることがむずかしくなる。」
ずっと前に読んだこの本は、私の指針でもありました。
「病気になったのは、自分の生き方がまちがっていたから」という
あまりにも極端な考えで自分を追い詰めてしまう方がいる、ということに
注意を払っていきたいと思います。
「病気は自分が作ったのだから、自分で治せる」ということも一理はありますが、
精神だけでこの世界が成り立っているわけではありません。
物質は、物質の法則というか、限界もあるのだと思っています。
それでも、想像を絶する肉体の癒しに至る人もいるというスティーブンの
言葉に勇気を与えられます。
自らの心を探るということが持つ深い可能性を信じていきたいと思います。