なんとも、衝撃的な題名の本です。
著者の緒方正人さんは、現在も不知火海で漁師をなさっています。
チッソといっても、若い方は御存じないかもしれません。
あの「水俣病」の原因となった、水銀を海に垂れ流した会社の名前です。
ちなみに水俣病とは、
水俣病はメチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、その主要な症状としては、四肢末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等がある[出典 1]。患者には重症例から軽症例まで多様な形態が見られ、症状が重篤なときは、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。一方、比較的軽症の場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなども見られる。
メチル水銀で汚染されていた時期にその海域・流域で捕獲された魚介類をある程度の頻度で摂食していた場合は、上記症状があればメチル水銀の影響の可能性が考えられる。典型的な水俣病の重症例では、まず口のまわりや手足がしびれ、やがて言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などの症状が現れ、それが徐々に悪化して歩行困難などに至ることが多い。これらは、メチル水銀により脳・神経細胞が破壊された結果であるが、血管、臓器、その他組織等にも作用してその機能に影響を及ぼす可能性も指摘されている。また、胎盤を通じて胎児の段階でメチル水銀に侵された胎児性水俣病も存在する。
(ウィキペディアより)
なんとも社会派の匂いのするこの本を私が手に取ったのは、
癌と人との関係のヒントがあるのではないかと思ったからです。
そして、私の未熟な脳みそではまだまだ未消化ですが、
アニータ・ムアジャーニさんの「喜びから人生を生きる」に次ぐ感動でした。
題名からすると、まるで緒方さんは被害者である「チッソ」の会社側の人間かの
ように思えますが、反対です。
6歳の時、父親が水俣病で狂い死にしました。
中学を出て、ヤクザや右翼活動をしますが、生まれ故郷の不知火海に戻ってきます。
そして、水俣病の未認定運動の先頭に立ちます。
しかし一転、自身の被害者としての認定補償を取り下げます。
子供の頃から、父親の憎き敵と思ってきた「チッソ」との闘いから、なぜ降りたのか?
それは、緒方さんが「本当に闘ったから」だろうと思います。
1600万円とか、1700万円とか、そんなお金を取るための闘いではなかったのです。
闘っていくうちに、敵である「チッソ」の姿が見えてこないことにいら立ちます。
担当者が代わり、社長が代わり、県や国も同じことでした。
何か問題が起きれば、その補償のしくみ作りだけをする、本当の意味での
人間同士の話し合いや、人間としての「謝罪」はどこにもありませんでした。
これは、社会というシステムの問題なんだと気付くのです。
そして、緒方さん自らも、その社会システムの中で生きていて、そこから逃げられない
ことに気付いたのです。
そして、緒方さんは狂い出します。
テレビや車や電化製品を破壊しまくります。
文明的な物が自分に指示してくるようで嫌だったといいます。
そんな中で、チッソに押しかけた時、ある幻想を見ます。
大きな鬼が人間を食らっている姿だったといいます。
鬼たちに見つかり、武器も何もない緒方さんがぶつけた言葉は、
「おれは人間ぞ。おまえらの正体見たり。」だったそうです。
すんでのところで、緒方さんを引き上げ助けてくれたのは、
水俣病で亡くなった方々が下ろしてくれたロープだったそうです。
緒方さんはこう書いておられます。
「一体この自分とは何者か。どこから来てどこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病への どんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から 解き放たれた瞬間でもあった。」
今まで、憎き敵とばかり思っていた「チッソ」への攻撃性が極限まで達し、
反転したら、今度はその攻撃性が自分に問うてきたのです。
そして、自分がもし「チッソ」側の人間だったとしたら、同じことをしなかったとは
言いきれないと悟ったわけです。
主題とは外れると思いつつも、私の頭の中には、「分離」と「つながり」の
文字が浮かびました。
それまでの緒方さんは、自分の外側に敵を見て、それと闘っていたわけです。
それは「分離」です。
そしてある時、その闘いが極限に達し、自分に反転してきた・・・
自分につきつけられた刃に、狂ってしまった期間も長くありました。
その中で、緒方さんは自分で答えを出していったのです。
精神世界では、すべてが「自分」だといいます。
結局、自分という「敵」と闘っているということでもあります。
覚者が至るような「魂の道程」を、この本の中に見ました。
人生のヒントだらけのこの本、私はまだまだ浅くしか読めていません。
「チッソは私であった」・・・これは「癌は私であった」に通じるような気がします。
「癌になって幸せ」「癌は敵ではない」「癌と共存する」・・・
そう言うことは簡単ですが、それが自身の生きるか死ぬか狂うかのキワキワの
ところから出た言葉かどうか、、、そのへんが大事なところだと思います。
簡単に「悟り」のような境地に行き着くはずはないと私は考えています。
陰極まれば陽になる、陽極まれば陰になる・・・
癌を憎み、癌へのうらみでいっぱいなら、極限までやっつけてみるのも
一つの方法ではないかと思います。
とことんやれば、ある時反転することもあるからです。
癌の中にある「自分性」「愛」「意味」に気付くということもあるからです。
その時、癌との本当のつながりが生まれるような気がします。
現象としては、「死」に至ったとしても、
自分自身と和解し豊かに生きることが出来れば、それも有りなのではないでしょうか?