ある本にこんなことが書いてありました。
人生とは、高い崖から落ちていくようなものだと。
その崖はあまりに高く、地面に着くまで80年かかったりするのです。
まぁ、実際にはそんな崖はないのですが・・・
私たちは、ある意味落ちている途中です。
おぎゃーとこの世に生まれた時(生まれ落ちるとはよく言ったものです)、
まさに崖から落とされたのです。
ずっとずっと落下しています。
あまりにずっと落ち続けているので、自分が落ちているとは気付かないのです。
でも、気付いてしまう人もいます。
それは、死を予感させるような病に罹った人です。
「あぁ・・・なあんだ、自分は死なないような気がしていたけど、確実に死ぬんだ・・・」
自分もいつか確実に死ぬと、、、生きているということは一日一日死に近づいていると
そういう自覚がはっきり出来た時、人は何か違ってくるのかもしれません。
(おそらくこれまでの優先順位はがらりと変わってしまうのではないでしょうか?)
落ちていく時、何も出来ません。
どんなにもがいても、腕は虚しく空を掴むだけです。
ただ、落ちるしかないのです。
そして、いつか地面に着きます。
衝撃が待っているかもしれません。
以外にも、ふわっと着地できるかもしれません。
そして、またそこからすくっと立ち上がり、歩きだすかもしれません。
自分の力では、どうしようも出来ないことがあります。
何というのか「自然の法則」には逆らえないのです。
人間は不死身ではありませんしね。
果物も、熟せば勝手に樹から落ちていきます。
(むりやりもぎ取られる果物より美味しいでしょうね!)
お釈迦様は「生・老・病・死」を見て衝撃を受け、出家しました。
生まれた以上は、この世の法則に従わなければなりません。
どんな人も、逃げられないことがあるのです。
けれど、出来事に対して「どう感じるか」「どう考えるか」は自由です。
起こった事実は変えられないけれど、自分の見方は変えられます。
それが、人間の素晴らしいところですね!
「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。」
そして、見方が変われば、行動が変わっていきます。
同じ落ちるにしても、空想妄想のし過ぎで恐怖だけを感じながら落ちることも出来るし、
これも一つの経験ととらえ、落ちることさえ楽しむことも可能かもしれません。
どんな見方をするかは、完全に自由なのです・・・