「ここから先には行けぬぞ!」
私は旅人。何十年も旅をして来た。長くて辛い道のりだった。しかし、それももうすぐ終わりが近づいている。目的地まであとちょっとという最後の峠に差し掛かっていた。ここまで頑張ってきた自分を褒めてやりたい。これを越せば、人が皆憧れるという「喜びの国」だった。しかし、突然得体の知れない何者かに行く手を阻まれたのだ。そいつが何かはわからないが、とてつもなく強力なことだけは確かだった。
「なぜです?心も身体も全て浄化しています。条件はすべてクリアしています。私には「喜びの国」に行く権利があるはずです。」私は叫んだ。しかし、その得体の知れない何者かが言う。「いや…お前にその権利はない。お前は忘れているが、小さな箱を持っているはずだ。その箱の中にはありとあらゆるお前の秘密の悪事が閉じ込められている。その穢れを持ったままでここを通ることは出来ぬ…。」
「残念だが、今のお前の行き先は「恐怖の国」だ。その箱の穢れが恐怖を引きつけて離さないのだ。」
私はハッと思い出した。物心ついてからずっと旅の生活だった。当たり前だが、その中ではいいことも悪いこともしてきた。旅の恥はかき捨てとばかりに口には出せないような恥ずかしいこともしてきた。思い出したくもないことをすべて箱に押し込んで厳重に鍵を掛けた。私の悪事は消え、いつしか自分は真っ当な人間になったと思い込んでいた。
しかし、隠していただけで消えてはいなかったのだ。寸分漏らさず私の悪事は保存されていた。私が「喜びの国」に入れないことは明白だ。その国には完全に清らかなものしか入れないことになっている。この何十年の旅の目的地を目の前にして私はどうすることも出来なかった。すべては水の泡だ。狂おしいほどの後悔が押し寄せ、声なき声で私は鳴き続けた。
すると…誰かの泣く声が聞こえる…。誰の声?私の声?それとも幻なのか?…なんと、あの得体の知れない何者かが私と共に泣いていたのだ。
泣きながらその得体の知れない何者かが言った。「空っぽにするのだ。その箱の中の穢れをすべて空にすればいい。」なんだ、それなら簡単だと思った。しかし、得体の知れない何者かは言った。「空っぽにするのは決して簡単なことではないぞ。お前が詰め込んだそのすべての穢れを凝視し、もう一度味わい、その罪を1gも残さず懺悔しなければならないのだ。それがお前に出来るか?」
ここまで来たらやるしかない。私は自分の悪事と向き合い懺悔をした、その途方もない量に絶望しながら。不思議なことに私を畏れさせたその得体の知れない何者かが泣きながら寄り添ってくれている。(こいつは…こいつは一体誰なんだ?)いや、余計なことを考えている時間はない。私の旅の残り時間はあとわずか、ここで出来なければ振り出しに戻ってしまうらしい。こんなことを繰り返すなんて真っ平ごめんだ!
私はすべてをさらけ出し自分と向き合い、秘密の箱の中身をやっと空っぽにした。旅の残り時間はたった1日になっていた。それでも嬉しかった。ひょっとしたらこんな旅を前世でもずっと繰り返してきたのかもしれない。「ねえ…」と私は得体の知れない何者かに声を掛けたが、あいつはもう影も形もなかった。
いつの間にか見知らぬ浜辺にいた。温かな風が私の全身を優しく撫でている。やすらぎと穏やかな喜びが私を包んでいた。今回の旅はもう終わったのかもしれない。ふと自分がまだ箱を持っていたことに気づいた。私はまたこの箱に何かを隠してしまうのだろうか…。
いや…ここに置いていこう。もう二度と必要はあるまい。