子宮頚がんとインナーチャイルド

N・T様  30代   女性  
●ヒプノセラピーを受けようと思った動機
数年前にも受けたことがあったのですが、
今年子宮頚がんであることがわかり、
がんをつくった原因は自分の心の問題だと思い、
ヒプノセラピーを受けようと思いました。


●内容
子どもの頃の辛かった時のこと:
私が記憶している一番小さい時のことで、
母親にひどく怒られた時のことでした。
手づくりの巾着袋を私にくれたご近所の方に
「ありがとう」と言えず、
母に「ありがとうってちゃんと言いなさい」
と言われても言えませんでした。
母は「その方にありがとうと言えるまでは
ご飯は食べれないよ」と言い、私は玄関で一人
泣きじゃくりました。
そしてその方に母が電話して、
私は泣きながら「ありがとう」と
言った(言わされた)のを覚えています。
その時の子どもの私に入って、
どうして言えなかったか聞くと、
「恥ずかしい」と答えて、
もじもじしている子どもの私がいました。
次に、その時の母に入ると、
「あいさつは絶対できないといけない。
大人になってあいさつができないと困る、
とパパ(私の父親)からも言われて いる」
と言いました。
その時の私の気持ちはさみしい、不安、心細い、
どうしてできないんだろう(しなきゃいけないことは
わかるのにできない)・・・というような気持ちでした。
大人の私が、子どもの私に会いに行って、
「大丈夫だよ」と声をかけ、抱きしめました。
「ずっとそばにいるよ」と言って、
さみしくて胸がキューっとなって
いる子どもの私に「楽しいことをしよう」
と言いました。
2人で森へ行き、小川の流れる森林の中で、
大きく深呼吸し、気持ちよく感じました。
木漏れ日の中で子どもの私も気持ちよさそうで笑っています。
川の水に手を入れて、おたまじゃくしを追っかけて、
子どもの私はきゃっきゃっとはしゃいでいます。
石の下に沢ガニもいます。
「あっちにもこっちにもカニさんがいるね」
と話しかけたり、「お腹がすいたね」と言って、
2人で川岸に座り、持ってきた手づくりのおにぎりを
2つ食べました。お腹もいっぱいになり次は何を
しようか?と考えて、次は小さな山を2人で登りました。
ハーハー言いながら土の斜面を歩き、
頂上に着きました。頂上には2人きりで、
そこからの視界は何も見えませんが、
吹きぬける風がとても爽快で
清々しい気持ちです。
「やったね。頂上まで来たんだね」と言い、
子どもの私も嬉しそうににこにこしています。
山を下りたら、2人であんみつを 食べよう、と思って、
子どもの私がわくわくして、笑顔になるようなことを
思い描きました。
これからも毎日子どもの私に話しかけて、
一緒に楽しいことをしようと思いました。
インナードクターとの対面:
インナードクターは白衣を着た50~60代くらいの女性で、
穏やかで明るい表情をしています。
「私の病気は治りますか?」と聞くと、
「わからない」と言われました。
「生きるのが苦しい」と言うと、「大丈夫」と言われました。
●ヒプノセラピーを受けてからの変化
日常的に、子どもの自分に話しかけをしています。
自分自身では今何がしたいのか、何が食べたいのか、
よくわからないとき、子どもの自分に聞いてみて、
「緑のあるところに行きたいんだ」とか
「甘いものが食べたいんだ」と自分の中で感じます。
公園に出かけて、子どもの自分と2人で歩きながら話をし、
子どもの自分が喜んでいるか、安心しているか、ということを感じます。
子どもの頃の私は「しないといけないと頭で
わかっているのに、できない。言葉を発することが
できない。 気持ちを伝えることができない」ということで、
ずっと自分を苦しめ、悩んできたと思います。
これは、もっと幼少の時や、胎児の時に何かあるのか?
もって生まれた気質、と言っても、何でそうなんだろう?
と思ってしまいます。
プレ保育の時(3歳)の私は園内で全く話をしなくて、
先生から母親に「自閉症ではないか」と言われました。
母は病院に私を連れて行きましたが、
家庭内では今日どんな事があったかを
よく話していたので、医者からそういうことなら
問題ないと言われたそうです。
家では母親とだから話ができたのだと思います が、
人見知りや言葉を発せられない、
気持ちを表現できない原因をこれからもっと
探っていって、知ることができたらと思います。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。