杉並区西荻窪の治療院、てるこの部屋です。
コインの写真ですが、お金の話ではありません。
観念、考えのことです。
当たり前の話ですが、
どんな考えもそれがいいと思ってしまうと
その逆はダメだということになってしまいます。
考えもコインと同じように裏表があるんです。
例えば、仕事が早いのはいいという考えを持てば
仕事が遅いのは良くないとなってしまいます。
痩せているのがいいという考えを持てば
太っているのは良くないとなってしまいます。
ありのままがいいという考えを持てば
ありのままじゃないのは良くないという
考えを持ってしまいます。
こんなふうにある考えを持つとその逆の考えも
気づかないうちに反作用的に持ってしまうのです。
思考や言葉に囚われちゃうと
本質が見えなくなってしまうんです。
というか、
本質は言葉では説明出来ないものだと思うんです。
(まぁ、お茶でもどーぞ・・)
ここまでは簡単にご理解いただけるでしょう。
私たちは裏と表があるものを
(真実のように見えても真実ではないものを)
求め続けてしまう習性があるようです。
もっと知ったら
もっと理解したら
もっとたくさん集めたら
問題が解決され、きっとハッピーになるだろう!
ほとんどの方がそう信じ込んでいるんです。
さぁ、ここで私たちの本質について
わかりやすく写真にしてみました。
どんなにたくさんのコイン(考え)を集めても
それはただの考えです。
自分自身ではありません。
自分の本質とは
それを入れている(という説明も正確ではないけれど)器のほうなんです。
本質は
無色透明で
何も判断しないんです。
(私の感覚では判断出来ないという感じ!)
そして、
その存在感がなさ過ぎて(笑)
思考の寄せ集めや
それに伴う反応や体感等の目立つ動きがあるほうを
自分自身だと思い込んでいるんです。
私のこれまでの経験で言えば
どれだけ考えを集めても
決して幸せにはなれませんでした。
2012年に夫が悪性脳腫瘍を宣告され、
手術したら認知が下がって働けなくなりました。
「完治はしない、どれだけ延命できるかだ」と
医師から言われ、私は絶望の底に叩き落されました。
怖い
怖い
怖い
遠からず夫が逝ってしまうということが
気が狂うかと思うほど私は怖かったのです。
夫が死ぬことを必死にストップさせなければと
インチキヒーラーに600万円騙されました。
もし、神様が目の前に現れたら
神様とだって取引していたでしょう。
それだけの絶望と悲しみと怒りと無力感と
その他例えようもないほどの感情と思考に
まみれていた私。
その心象風景は、椅子を振り上げ(笑)
「来るなー、こっちに来るなー!」と
迫りくる夫の死に対して、鬼の形相で
追い払おうと必死に抵抗していたのです。
しかし、そんな狂人のような時でさえ
本質の私はただ「見て」いたんだと思います。
ただただ「ふうん」(これも正確ではない)と
それに瞬間的に気づくことが何度かあって、
そのたびに恐ろしいほどの安心感に包まれて、
そして、またギャーギャー騒ぎ立てる
日常に戻るという繰り返しでした。
しかし、私にはお手本がいました。
病気の当人である夫は
全く抵抗しなかったのです。
彼は胸に差し込む白い光を見た日から
抵抗しないという考えさえ持ちませんでした。
形あるものほとんどすべてを失った夫が
見ていた世界がどんなだったのか
私には今もって想像がつきません。
夫は自分が「考え」ではなく
それを包み込む背景のほうだと
知っていたのでしょうか・・・
まぁ、こんな話はどうでもいいんですけどね。
さあ、もう一杯お茶いかがですか・・・