こんにちは、福井てるこです。
毎晩サンキャッチャー創ってます(笑)
今年は引っ越しを3回もし(笑)夫も急死し、激動の年だったと言えるでしょう。これも今盛んに言われている地の時代から風の時代に移行するための大掃除だったようです。今までの在り方ではやっていけなくなるので激しい手放しと再設定が急ピッチで行われたのです、私の場合は。
おかげ様で今現在は、これまでの人生でいちばん穏やかな時間を過ごしています。どういえばいいのでしょうか・・・私がいちばん恐れていたこと(夫が亡くなること)が起こってしまったからでしょうか。もうこれ以上の悲しみは私にはやってこないと確信しているからかもしれません。
生前夫が「君は決して独りぼっちにはならないよ」と言っていた意味がようやくわかりました。その言葉には続きがあります。「君は一人にはなるかもしれないけれどね。でも、独りぼっちと一人は全然違うんだ。独りぼっちとは惨めとか憐れとか寂しいとかの感情が乗っている状態なんだ。一人とは単に物理的なことだよ。僕が本当のバカだったらこんなこと言えないだろ~?」といつも笑いながら言っていました。
でも、自分を憐れんだり嘆いたり、苦しい感情を感じるのがいけないってことじゃないんです。それも人間に生まれた醍醐味です。思う存分悲劇のヒロインをやってみるのも楽しいプレイでしょう。でも、苦しい時はいつでも解釈があります。事実そのものを見ているのではありません。事実はいつもシンプルです。(私は今一人で暮らしている)ただそれだけです。それが苦しみや悲しみの感情を伴うのなら(こうでなければいけない)という信じ込みがくっついています。(夫はずっと健康で私とともに生きているべきだ)とか(私が未亡人になってしまうのは良くない)とか(一人残された私は可哀想)とか・・そこにジャッジメントがあるのです。まあ、よく言われるように時間が解決してくれるというのは本当だと思いました。どう解釈し直そうとしても、それも解釈ですから思考であれこれしているうちはドラマに巻き込まれていますしね。
さて、今朝は暖かな日差しの中、この本を読んでいます。手のひらに乗るほどの小さな本。レバノンの詩人、カリール・ジブランの「預言者」です。彼が15歳の時に着想を得たという壮大な叙事詩です。預言者アルムスタファが愛や結婚、自由、苦しみ、死、美などについて人々の問いに答えるという形で書かれています。
この中の「愛というものは、いつも、自分の深さを、別れの時まで知らないでいるのです。」という一文に心打たれました。そう・・・私はそうでした。自分の愛の深さを夫が亡くなるまでは完全に知ることが出来ませんでした。遠からず逝ってしまうという恐怖のほうが大きくていつも怯えていたのです。死が私から夫を奪い去ってしまわないように絶えず身を強張らせていました。だから、私の愛を存分に体現することが出来ませんでした。本当に残念です。でも、ほとんどの方がそうなのかもしれません。愛と、そして感謝の大きさが無限であることにいつか驚く日があなたにもやってくるに違いありません。
その時では遅い?いいえ、そんなことはありません。愛は愛する対象が目の前から消え失せても、あなたの中にあるものです。対象を必要としない、ドラマや物語を必要としない、暖かなエネルギーを感じてください。宇宙の果てさえも越えて広がっていくエネルギーの壮大さに気づくために、身を切り裂くような悲しみがあるのかもしれません。愛はその中に愛でないものまで含んでいるので偉大なのです。