立ち止まること

東京・西荻窪の治療院、てるこの部屋です。

ずっとずっと頑張り続けている人にとって
立ち止まることはとても難しいと思います。

頑張って走り続けることは、
ある意味もっともっとと求め続けることです。
そんな生き方をしていると、
自我は生きている感じがあって嬉しいのです。
自我は意味価値が何よりも大好物なんです。
自我は何かを得ること持つことのために
動き回っていると言ってもいいでしょう。

逆に、自我の大嫌いなものは、
価値のないことや意味のないことです。
嫌いなんて生優しいものではありません。
使える手立ては何でも使って
無価値感を感じないように死に物狂いで
避け続けているのです。

私もずっとずっと逃げ続けていました。
頑張って勉強してスキルアップすることは
恰好の大義名分になっていたのです。
意味ある私、価値ある私にならなきゃと
死に物狂いだったんですね。

つまり、奥底では
生きている意味のない私
生きている価値のない私

だと思っていたってことなんです。
(もちろん、それは幻想ですが…)
それを直視するのが辛くて悲しくて
何か特別なことが出来る価値ある人間に
ならなきゃと必死だったというわけです。

知識を集めたり、スキルアップすること自体は
別に悪いことじゃないんですよ。
不足感からやってなければいいんです。
私の場合は不足感を補う意図があったので
見ないようにしてきた傷がジクジクと
膿を持って、悲鳴を上げ続けていたんです。

私の場合は世間的には意義深い勉強でしたが
他にもセミナーに出たり、知識を集めたり
飲酒や買い物、趣味や旅行や恋愛、仕事…
あらゆるものが傷に対する一時的な痛み止めになり得ます。

しかし、痛み止めの絆創膏の下で
傷はもっともっとひどくなっているんです。

私たちは誰もがいつかは自分と向き合い
何を真実だと思って生きてきたのか
じっくりと見る機会がやってきます。

しかし、なかなか辛い作業なので
避け続ける人がほとんどなので
無理やりに強制的に停止させられるのです。

それが対人関係だったり、病気だったり
出来事は様々ですが、抵抗すればするほど
拗らせてしまうようになっています。

私たちに出来ることはただ一つ。
抵抗をやめて、立ち止まることです。

有り難いことに私にはお手本がいます。
それは亡き夫です。
夫の人生は抵抗とサレンダーの人生でした。

彼が悪性脳腫瘍を宣告された当初は
癌を克服して本を出版したり講演したりして
たくさんの癌患者さんの助けになるんだと
何やら張り切っていました。
(ちなみに癌患者さんがこれを目標にすると
上手くはいかないんです!)

病気になって仕事が出来なくなったからには
次なる何かが必要だったのです。
(自我は死に物狂いですからね!)
しかし残念ながら、宇宙はそういう役割を
彼には求めていませんでした。

読み書きが上手くできなくなった
夫の拙い計画は誰からも受け入れられませんでした。
整骨院をやっていたので(先生、先生)と
言われていたのに、あっという間に
世間から忘れ去られました。

彼の奥底には
「自分は役に立たない人間だ」という
アイデンティティがあったのでしょう。
だからこそ頑張ってきたのです。
しかし、夫の自我はとことん
自分は役に立たない人間だということを
味わい、受け入れる必要があったのです。
(もちろん、それは信じ込みなんですよ)

夫は立ち止まり、受け入れ続けました。
それしか出来なかったからです。
ただただその日その日を生きるだけ。
それは驚くべき辛抱強さにも見えました。

私が夜遅く家に帰るといつも
朝の姿のままでソファに座っていたものです。
夫は自分の運命に逆らうことを完全にやめました。

今、Oリングで夫に確かめると
亡くなる一年前から平安の境地だったそうです。
何も出来ない何もなくなった自分を受け入れ
それでも神様(と夫は言っていました)に
完全に受け入れられていることを知った喜びは
それまでの不幸だと思っていた人生を
ひっくり返して余りあるものだったようです。

私が夫に追いつくには100万年かかるかも
しれませんが、じっと立ち止まり
自分の傷をよく見て、無価値感の幻想を
捨て去りたいと思っています。
きっといちばん苦手なものの真っ只中にしか
真の平安はないのです。
そしてそれが自我の「もっともっとゲーム」の
終わりだと私は理解しています。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。