からだと潜在意識を整えて、楽に自然に生きる。福井てるこです。
ああ~いつの間にか、もう秋ですね。あんなに暑かった夏も過ぎ行くのですね。良かった良かった。さて、最近の私は計画を立てずに「問いかけ」で生きています。ふと治療院の本棚に目をやると一冊の本が「読んでくれ~」と猛アピールをしてきました。山田孝男著「瞑想のススメ」です。古い本ですし、また知識を搔き集めても・・・と思ったのですが、これをここに書くことにどうやら意味がありそうです。地球のエネルギーがどんどん変わっているので心と身体のバランスを崩したり、今までの価値観がガラッと変わってしまう方が周りに続出しています。こういう時の乗り越え方を書いておきますね。
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第11章 霊的クライシスはなぜ起こるか
霊的クライシス(危機)とは何か
瞑想を続けていくうちに、私たちの内面はそれにともなって成長していきます。内面の成長とは、様々な精神的・霊的な体験をともないながら、意識が変容し拡大していくプロセスのことを指しています。
このとき、このプロセスがあまりにも急激であると、人によっては日常生活とのバランスをくずしてしまい、人生の危機に見舞われることがあります。・・・・・クライシス(危機)の状態は人によって様々ですが、共通するパターンがあるようです。それは、意識の変容体験をともにリアリティ(現実感)も変化し、全く新しい価値観に目覚めるため、それまで続いてきた人生の意味や価値が見失われることから起こってきます。
それまで続いてきた現実生活には惰性があって、そこにしっかりと自我意識が根を下ろしていて安定しているところに、ゆさぶりがかかることでもあります。
このとき、あらゆる社会の常識が不確かなものに思え、かといって新しく芽生えた意識にも全面的に信頼を置くことができず、感情(精神)が非常に不安定な状態になります。
このようなときは、普通、知覚も非常に敏感になり、人が感じない微妙な波動エネルギーを感じるようになったり、様々な幻覚やビジョンを体験したりするようになります。知覚の敏感さにともなって肉体感覚も敏感になるので、ちょっとした刺激でも大きな反応として肉体的に感じてしまいます。
ほとんどの人はクライシスの時、日常の生活をするのが困難に感じるでしょう。そして、身体のあちこちが特別な原因もないのに不調になり、いわば自律神経失調症といわれるような症状を経験することが多いと思います。家族や友人知人関係は摩擦が大きくなり、他人からも理解してもらえないようになり、次第に孤独や絶望感が強まってくることがあります。この状態は見かけ上、精神病に似ているので、たいていは周囲の圧力で精神科の厄介になるケースが少なくありません。
しかし、症状は似ていても、その原因は普通の精神病とは全く違います。標準的な精神科医は霊的な事柄に理解がないので、このような人たちを精神病患者と同じように扱うという過ちを犯しがちです。最近の次元上昇に向けての意識の変化が激しい時代において、クライシスを経験する人たちも多いように私には思えますので、この問題を取り上げることにしました。
クライシスにはどんな種類があるか
クライシスの共通のパターンは、急激なリアリティの変化にともなって、アイデンティティー(自己同一視)が一時的に混乱し、不安定になることから起こるのですが、それぞれの段階によって、いくつかの種類にわけて説明するのがわかりやすいと思います。
①内面の成長と肉体の浄化のアンバランスからくる場合
これは、内面が急激に変化していて、霊的なエネルギーや生命エネルギーの流れが、新しいパターンで流れ始めているのに、肉体の毒素の浄化が追いつかず、その摩擦が肉体上にいろいろな不調となって表れるケースです。これは、ボディワークから入るような瞑想のタイプではめったに起こりませんが、内面の浄化から瞑想がスタートするような(内からの浄化行)システムではよく起こります。
ある種の食べ物を肉体的にまったく受けつけなくなったり、吐き気や胸のむかつき、下痢、その他いくつかの症状が極端に多くなってきます。体内では意識の変化にともなって、新しいエネルギーの流れがセットされているにもかかわらず、肉体が新しいエネルギーパターンに適応できないことから起こります。クンダリニーという神秘的なエネルギーの活性化によって、背骨の一部に激痛を感じるようになったり、熱くなったりすることなどもこのケースです。
②知覚の変化と常識の間の葛藤からくる場合
第三の目が開けるなど、新しい知覚が開かれることによって、神秘的なビジョンや幻覚を経験するようになると、常識はそれを判断する基準がないので、自我意識は大混乱をおこすようになります。
体験内容のインパクトが比較的弱い場合は、なんとか常識で否定したり、適当に無視したりして、それまでの価値観や人生観に適応することはできますが、体験のインパクトが強い場合は、常識で否定したくても新しい体験からくるリアリティの方が強いために、無視することができなくなります。
このような場合、その人の判断や行動は周囲から見て、突飛だったり、極端だったり、奇妙だったりします。当然、社会の慣習や常識に会わない発言や行動が多くなり、周囲との摩擦が大きくなります。そのかわり、直感は鋭くなっているので、未来を予知したり、常識では予想できないくらい物事がうまくいったり、いったことが当たったりする場合が多くなります。
しかし、クライシスの時期は、もともとが混乱状態でもあるので、その予見がいつも正しいとは限りません。断言したこととその結果がまったく違っていたりすることも、しばしば出てきます。はじめは周囲の人も関心をもってその人のいうことに従ったりしますが、やがてはいったこととその結果がまちがっているような場面に直面したりするようになると、疑問を持つようになってきます。
クライシスを経験している本人も、周囲の人たちから理解されなくなるにつれて、本人の勢い(パワー)も弱まり、孤独や絶望感に陥っていくケースも少なくないようです。このような時期に、浄化されていない霊的存在に憑依されるようになる場合も時々見うけられます。新しく開かれた知覚や意識に対して、謙虚に純粋な信仰心を持って対処しない場合は、その力が支配欲や自己顕示欲、所有欲などに知らず知らず利用されるようになってくるので、意識の中に次第にネガティブなエネルギーが入り込むスキを与えるようになるわけです。
このケースでは、気づきが確信に変わり、安定した肯定的な意識を達成できるまで、同じようなパターンが何度も続くようです。
このようなクライシスを無事に乗り越えられない場合、どうなるかというと、次第に自分の体験に自信をもてなくなり、周囲の反対のため、元の意識状態に戻って再び平凡な生活を送るようになります。その直後は一時虚脱状態のようになったりします。よく、憑き物が落ちたという表現を使いますが、これにぴったりの状態に見えることがあります。
③超越的な意識体験のために現実意識に降りてこられなくなった場合
瞑想やその他の道を歩んでいる時に、何かのはずみで突然強烈な神秘体験が訪れる場合があります。悟りの体験とか、神を知る体験とか、宇宙意識の体験などといわれているのは、このようなケースに相当するでしょう。真実よりも強いものはないと一般にいわれますが、このような体験は、その後の人生を一変させるほど強烈な力をもっています。その人の精神(心)が弱かったり、準備ができていない時、突然このような体験をすると、それまでの自我意識が一挙に崩壊してしまいます。当の本人は悟りを体験し、直接神を知るわけですから、肉体的には高い意識状態にとどまっているわけです。
インドのような国ではこのような人を導師として敬い、それなりの尊敬をはらって大事にする精神風土もありますが、日本の社会では頭のおかしい人としてしか扱われないでしょう。このような体験をする人は非常に少ないので、あまり問題にされることはありませんが、それでも最近はこの数も多くなっているに違いありません。
続く・・・