もうすぐお引っ越しのてるこの部屋です。
荷造りするのは最後の1日だけになりそうです。どうしよう~。ご近所の方々に緊急招集するかもしれません。その時はよろしくお願いいたします~(笑)
私、実は昨年大きな変化がありました。すべての師から離れたのです。まさかこんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。私は学び好きですからね。本当に本当にずっとその大きな背中を見てついていこうと思っていた師なのです(しかも一人じゃなく、二人の師匠です!)。それは突然にやってきました。
ある師匠に対しては身体がどうしても拒否してしまいました。頭では「覚醒された方だから、ぶっ飛んだことをおっしゃるのだな。私のような凡人には理解出来なくて当然なのだ」と信じ込もうとしても、私の身体はどうしても後ろに引っ張られるように遠のいてしまうのです。思考と身体、どちらを信じるか・・・私は結局、自分の身体を信じました。そして、師から離れました。
もう一人の覚醒された師にはこう言われました。「私の会に対するあなたの影響力が強すぎて、居心地が悪いと言っている参加者がいます。」と。実は私はその会にたくさんの参加者を紹介していました。なので確かに影響力が強かったのです。参加者の半分が私の知り合いだったこともあるくらいです。本当に良かれと思って頑張ってやっていたことなのでかなりショックを受けました。今までの努力が空回りしていたのですから。そして、私が参加することで居心地が悪い人がいるならば身を引こうと思い、参加するのをやめました。するとその師はケロッとこう言ったのです。「あなたがどのくらい感情的に反応するか試しました。だいたい思っていた通りでした。」と。まるで手のひらの上で転がされているようでした。私はこの人を自分の頭の上に置いていたのだなとやっと気づきました。このスピリチュアルな師は、私の夫の死期まで予言しています。この人の言うことだと夫は二年後に死ぬそうです!
愛や意識について誰かに教えてもらわなければと私は誤解していたようです。本当の師とは一体どこにいるのでしょうか?それはいつも自分の目の前にいます。セミナーや講座でしか学べない、体験出来ないものではありません。愛を学ぶのにどこかに行く必要はなく、いつでもいまここが最高の体験の場なのです。私の師は夫です。たぶん誰にとっても家族がいちばんの教師でしょう。悪性脳腫瘍で高次脳機能障害になり、半盲になり、歩けなくなった夫は素晴らしい鏡なのです。ある日、夫が言いました。「てるちゃん、君はお風呂場でおしっこしているでしょ?」
もちろん、私はしていません。「していないよ。」夫は普通に言います。「いや、君はおしっこしているよ。臭いもん。」「してないよ。」「しているよ。」「してないよ!」「しているよ。」「してないよ!」「しているよ。」「してないよ。」「しているよ。」「してないよ。」「しているよ。」「してないよーーーーー!」私は隣近所に聞こえることなんか全くかまわずに大絶叫しました。
「しているよ。」認知症の夫はまったく信じてくれません。私は泣きながらしていないと言い続けました。それでも夫は「君はお風呂でおしっこしているよ。」と淡々と言い続けます。もうここで死んでしまってもいいというくらいに私は大絶叫しました。それでも夫は信じてくれませんでした。
どれくらいの時間がたったでしょうか?叫び過ぎて気絶しそうになった(大げさに言っているのではありません、本当に気を失いそうでした)私にやっと気づきがやってきました。夫が絶対私を信じなかったように、あれくらいの頑固さで私は自分自身を信じていなかったのかもしれない・・・私はついに降参しました。そして心の中でこう誓いました。「これから、私は私をどんなことがあっても100%信じます。」と。どうやって100%信じることが出来るのか全く方法はわかりません。ただ、私はそうすると決めたのです。自分を絶対疑わないと、自分を絶対信じると決めたのです!それから、あんなにしつこかった夫は二度とこの話をすることはありません。自分を信じると決めた時から、私は外側に何かを探さなくなりました。あんな人みたいになりたいとかこんな人みたいになりたいとか、誰かを目指さなくなりました。自分を変えようと思わなくなったのです。
いつも全力でぶつかっていくのが私のパターンかもしれません(笑)セミナーや講座では決して学べないレベルの発見があるのが福井家です(笑)そして、愛はある特定の場所にだけあるのではありません。そこここにあるのです。愛と思えないほど醜い汚らしい物の中にも愛が流れているのです。気づきが訪れたらわかります。すべてが愛であったと、すべてが愛であると。これまでもこれからも、感じようが感じまいが、すべて愛から出来ています。
なので、私を幻滅させてくれた期待を裏切ってくれた師も愛のかたまりなのです。私の望み通り(真我の望みというやつでしょうね、それは宇宙の望み通り!)小さな器から追い出してくれて、私という人間存在を真に目覚めさせてくれたのは、彼らが本当の師だからなのです。私は師を捨てることによって、やっと自分になることが出来ました(それからすべてにおいて絶好調です~、私が私のマスターなのですからね~)。これが私のスタイルなので、他の方は師とともにずっと楽しい時を過ごす場合もあるでしょう。いい悪いはなく、ただ違うというだけなのです。私には最高の出会いでした。ありがとうございました。