友の死に思うこと

気が置けない友が突然逝ってしまいました。体操教室で気分が悪くなり倒れ、その16時間後に。脳幹出血だったそうです。

上京の折に何度か私の施術室に来てくれましたが、血圧が高かったこともあり直観的に危険なものを感じました。半ば強引に彼女の地元の近くの同じ施術をしている治療院を紹介していました。

Y子さんとは25年前、ある自己啓発セミナーで知り合いました。若さに任せていろんな冒険を一緒にした仲間です。遠く離れて暮らしているので10年近く会わなかったこともあります。それでも会えば若い頃の遠慮のない関係にすぐ戻れました。最近では尿管結石施術の感想も頂いていました。

彼女は政治や環境問題にも詳しく、地域や社会(世界にも!)に貢献していた人なので、書こうと思えばたくさんのことを書けます。しかし、その素晴らしい功績を考えると余計に辛くなってしまいます。(なんであんないい人が!)(神様はひどい!)と。

そして…悲しみがどんどん強くなり、(あの笑顔に二度と会えないんだ)と思うと恐怖まで出て来てしまったのです。ご主人様に連絡しなくてはと思ってもなかなか勇気が出ず、気持ちは沈んだままでした。

訃報から2~3日経った頃、私は自分のイメージの中でY子さんを呼び出してみました。Y子さんと会話をしてみようと思ったのです。私(どう?)Y子さん(びっくりしたよ~)私(そうだよね、突然だったもんね)Y子さん(そうだよ…初めてだからさ…)もちろん単なる私の妄想ですが、イメージの中の彼女に悲壮な感じはありませんでした。いつも通りの温かい気持ちに包まれ、悲しみと悔しさと恐怖がどんどん癒されていきました。

その時私は実感したんです。肉体は無くなってしまったけれど、心は決して離れることは出来ないと確信したんです。そして、私は自分の中に昔からあった悲しみを引っぱり出して、ドラマにはまり込んでいただけだったと気づきました。これは亡き夫からも言われたことです。(僕が亡くなったから悲しいんだと君は思い込んでいるけれど、その悲しみは君が元々持っていたものだよ。それを僕にくっつけないで!)と言われたのを思い出しました。

私が感じた悲しみと恐怖は本物だと思っていましたが(文章表現が上手くないので不謹慎と思われるかもしれませんが)驚くことにそれは自分がドラマにはまっていただけと気づいた途端に消え去りました。今、私の胸に溢れてくるのはいつもの彼女の明るいエネルギーです。ウフッと笑っている解放的なエネルギーが生き生きと伝わってくるのです。

不思議ですが、彼女を思い出し意識を向けると、どこにでも彼女がいるような気がします。それはもう確信に近いものです。肉体を持った彼女と会えないのはもちろん残念ですが、なぜだか今の私は深い安心感に包まれているのです。この心境を上手く表現出来ないことが本当に本当に残念です。

Y子さん、あなたに出会えて本当に良かった。楽しかったよ。ありがとう。

遺影のお顔はいつも通り明るく、きっぱりとしていました。彼女の家の桜はまだ満開でした。

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この記事を書いた人

福井てるこ

20代はプロの舞台俳優として全国を回り、33歳から鍼灸の道に入る。